コミュニケーション

愚 ッ ジ ョ ブ!

人の話を聞くのが好きだ。

興味が湧くと我慢できず、あれやこれやとつい質問してしまう。

ある会議に出席した。

そこに、語り出したら、止まらない方も出席していた。

出席者全員が、そのことを承知。

話し出すと、かなり赤裸々なプライベート打ち明け話から、その場にいる人にとってすごく失礼な物言いまでが飛び出し、イライラハラハラさせられる。

そういう訳で、議題からかけ離れた内容になることも、しばしば。

聞いている方も、申し訳ないが飽きてくる。

「そろそろ本題に戻りたいんですけど」など横やりを入れたり、制止しようとする人を、「黙ってなさい!」「うるさい!」と一喝。

口調とは裏腹に、迫力はあまりないのだが。

しかし各々、大人の自制心で対立を避け、引き下がる。

延々と続く独演会は、終わる気配がが全くない。

配られたレジュメの内容が片付かないまま、どんどん時間が迫ってくる。

ということが、過去何度もあった。

そのうち、打ち合わせをした訳ではないのだが、自然にその方にきっかけを与えないよう話題を選び、サクサク議題をこなしていく傾向に。

その日、問題の方は、かなり危ないオーラをまとっていた。

ご家庭の事情から、今大変だと噂で聞いていたので、「今日は、くる!」と思った。

司会者さんが一通りの現状報告を終え、質疑応答の時間になった。

待ってましたと発言する、例のお方。

今回も、会議とは関係ない方面にまで話が逸れていく。

おや?

ふとした一言に、疑問が浮かぶ。

好奇心を刺激され、黙っていられなくなってしまった。

即座に話の腰を、空手チョップ。

「ということは、その内容に納得したんですか?」

不意を突かれ、「えっ!」と言葉に詰まる相手。

が、次の瞬間答えの洪水が押し寄せる。

ふむ、ふむと頷き、次の質問を繰り出す。

周りの空気が、「益々語らせて、どうする?!」と非難しているのが分かる。

そのうち、私達を放置したまま、粛々と進め始めた。

置いて行かれてるのは分かっていたが、聞きたいことが次々出てくる。

後で誰かに聞けばいいやと、納得するまで質問攻めにしてしまった。

たっぷり話して疲れたのか、それとも気が済んだのか、急にパワーダウンする相手。

そのまま本筋は穏やかにフィニッシュし、時間通りに閉会した。

席に残ってお茶を飲んでいると、別の出席者からポンと肩を叩かれる。

「ナイス!」と親指を立てた拳を付き出される。

「?」

何のことか分からず考え込む。

どうやら、円滑に話し合いを進めるための、作戦だったと思っているようだ。

単なる、好奇心なんですけど。

とは言えず、ジャパニーズスマイル。

日本人で、良かった。

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笑顔をどうぞ

ユニセフ・カードとギフト秋・冬号が届いた。

クリスマスカードや、年賀状の新デザインをチェックする。

来年は、寅年かぁ。と、しみじみする。

身近に寅年生まれがいないので、確かめたことはないのだが、「寅年生まれがいる家に、猫は居つかない」というのは、本当なのだろうか?

と、ぼんやり考える。

そのうち、去年の年賀状準備で、あたふたしたのを思い出す。

ボーッとしている場合ではない。

今年は、早めに準備しなければ。

昨年は、スポンサーの宣伝等がついた無料年賀状の抽選に応募していたので、結果が出るまで何もしないでいた。

見事にハズレ、慌てて郵便局に行くが、目当ての年賀状は既に売り切れており、方々探し回ったっけ。

という訳で、寅年の年賀状は、ユニセフで用意しようと、今品定め中だ。

それに、受け取った人のお楽しみに、切手の方でお年玉くじに参加できるよう、早めに富里郵便局に行かねばと、思っている。

それにしても、ユニセフのカタログは、相変わらず誘惑がいっぱいだ。

文具フェチなので、あちらのセンスのカードやステーショナリーに目を奪われっぱなしになる。

暇があると広げ、お風呂にも持ち込み、欲望対象を絞り込む。

そうしないと、大変な金額になってしまう程、魅力的なものがいっぱいなのだ。

ユニセフ通販の面白いところは、送料の計算方法だ。

普通の通販の多くは、金額と送料は比例しない。

荷物の大きさや地域によって、変わる。

加えて、大体において、金額が大きくなると、送料が無料になったりする。

ところがユニセフは、逆だ。

梱包・配送料が、購入金額が大きくなれば成る程、高くなるのだ。

一番安い区切りが4千円で、配送料は400円。

なので、「4千円内に抑えないと」と、つい考えてしまうのだ。

これって、たくさん買って欲しい側としては、どうなのだろう?といつも思う。

ともあれ、ここでしか手に入らないグッズが満載のカタログは、いつもほのぼのとした気持ちにされてくれる、癒しのカタログだ。

ペーパー製品だけでなく、ファッショングッズや、クリスマス商品も豊富。

クリスマスカードに挟んで一緒に送れる金のクリスマスオーナメントは、毎年利用させてもらい、相手の方に喜ばれている。

カタログはダイジェストだが、HPでは全てのグッズが見れるので、一度覗いてみて欲しい。

寄付込みなので、高めに感じるものもあるかもしれないが、おくられた相手だけでなく、見知らぬ「誰か」をも笑顔に出来るというのは、嬉しいではないか。

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城     壁

住み始めて十数年。

あちこちに不具合や寿命が来て、業者さんのお世話になる機会が増えた。

工事が入るとなると、あちこちをかたずけなくてはならない。

外回りなら、ゴロゴロと転がしてある植木鉢を隅に寄せたり、張り出した木の枝を切ったり。

中なら、作業しやすいように家具を動かしたり、脚立を用意したり。

大変な思いもするが、きれいになるという利点も、見逃せない。

おぉ!埃がこんなにっ!!

ピンポン玉大の埃が、箪笥の裏からフワリフワリと出てくると、妙に嬉しくなって、嬉々として掃除機をかける。

あっ!こんなところにあったー。

と、行方不明だったお気に入りのプランターが発掘されたりして、得した気分になる。

スッキリした場所に立ち、よろしくお願いしまっす!と、心おきなく業者さん達に入ってもらう。

邪魔をしないように、しかも、「ちょっといいですかぁ?」と声を掛けられてもすぐに駆け付けられるポジションを保ちつつ、自分の仕事をする。

すると、職人さんたちの会話が、聞くつもりがなくても耳に入ってくるときがある。

世間話では、当然ない。

「おい、○○どこだ?」

「あれ?普通ならこの辺にあるのにな」

「あっ!あそこだよ、ほらっ!」

「あーーっ(汗)」

「じゃ、○○○でやるしかないなー」

「なんで、こうしてあったのかなぁ?」

「分かんないけど、他にやりようがないべ」

など、思わず耳がダンボになる会話が飛び込んでくることがある。

その度、うちって、普通じゃないのかな・・・?

と、すごく心細くなる。

しかも、なんかすごく妥協しなければならない方法で工事を進めて、大丈夫なのかという心配も増す。

しかし、さすがはプロ。

工夫に工夫を重ねてやっていただいたお陰で、工事後に不調が出たことは、一度もない。

ありがとうございました!と深々と頭を下げ、「お車でどうぞ」と飲み物などをお渡しする。

車を見送って、ホッと一息つく。

たったこれだけのことなのだが、一人で気を遣いすぎてしまうのだろう。

夜に、ドッと疲れが来る。

来客嫌いなので、普段めったによそ様が入ってこない我が家。

スッキリと、いつになく片付いた部屋にポツンと一人。

大変だけど、お客さんが来てくれると、日々のゴチャゴチャがリセットされるんだな。

私には、必要なことだよね。

・・・・・・

でも、やっぱり人とは、外で会いたい。

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祈る心と 折る心

今年も、なのはな生協のピースアクション活動に、参加している。

協力できる千羽鶴の数を申請すると、その分の折り紙が届く。

締め切りまでに間に合うように、一日何羽折ればいいか見当をつけ、折り始める。

折るのは、就寝前。

ついているテレビを時々見ながら、ひたすら手を動かす。

本当は、一羽一羽、心を込めるものなのだろうに、申し訳ない限りだ。

今年は、いつもの年よりも、うんと早く終わりそうだ。

というのも、家族の帰宅を待つ時間が多いからだ。

送迎を受け持っているので、どんなに遅くても、起きていなければならない。

よって、はかどること、はかどること。

折りながら、知人の言葉を思い出す。

家族間のもめ事に消耗する日々。

やはり就寝前のひととき、一人黙々と手を動かす。

缶いっぱいになった折り鶴をみて、「それ、どうするの?」と聞かれる。

「捨てるんだよ」と、いつも答えるという。

明るくて、周りを元気にする彼女。

そうやって自分を慰め、やり場のない苦しみに耐えてきたんだと知り、ますます彼女を尊敬した。

静かで、凛とした美しささえ漂う、心のけじめのつけ方だと、心底思ったからだ。

それに引きかえ、自分はなんだ、と思う。

反省し、生協のお兄さんにも相談したが、「行為だけで、充分ですから」と、慰められた。

一羽一羽は無理でも、折り上がって糸でつなぐときに、平和への祈りを込めよう。

今夜も指先が、折り紙で染まる。

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振り向~かないで~♪富里のひ~と~♪

コピーをとろうとして、コンビニに行く。

先に来ていた人が、「たくさんあるので、先にどうぞ」と譲ってくれた。

有難うございますとお礼を述べつつ、「急がねば」と内心焦る。

こんな時に限って、「あ、あれ?あれれっ?!」

フリーズしちゃった・・・・。

待たせている人をも巻き込んであれこれ試すが、コピーは動かない。

「お店の人呼んできますね」と行こうとするのを制止して、「いえ、私が!」と駆ける。

何のことはない。

料金を入れていなかったのだ。

1枚10円ね。と、思ったことで、払ったつもりになっている、ご都合脳が情けない。

譲ってくれたのが、イケメンのお兄さんだったことも、恥ずかしさに追い打ちをかける。

この頃、万事この調子で、自分のお脳が、心底心配になる。

が、脳みその働きが鈍いのは、今に始まったことではないと、思いつく。

家族には、定期的に同窓会がある。

その度にいそいそと出かけていく家族を見送るが、複雑な心境だ。

羨ましいのでは、決してない。

あの家族でさえも出来ていることが、私には出来ないという事実を、認めたくないというか。

私は、例え自分の同窓会があったとしても、絶対に行かない。

いや、行けないのだ。

なぜなら、ほとんどの人が、私にとっては初対面の人だから。

つまり、クラスメイトのほとんどを覚えていないのだ。

特に、学校生活全般に渡って縁がなかった男子は、ほぼ壊滅状態だ。

例外は、極端な暴れん坊で、先生も手を焼いていたような、やんちゃな子。

もしくは、自分に敵意をむき出しにしてきた相手など、忘れたくても忘れられない子達だ。

しかし彼らのことは、脳みそが覚えているというより、心に焼き付いてしまったので、思い出せるという感じか。

さすがに女の子は男子よりも多く記憶しているが、仲の良かった子達以外は、時代が混同されている。

あの子、中学のクラスメイトだっけ。

それとも、高校時代の・・・。

もはや、カオスである。

幸か不幸か、幹事さん達に熱意がなく、お呼び出しは今まで2度だけだ。

もちろん、両方ともご遠慮したが。

「同窓会」というと、皆様どのような感情が呼び起されるのだろうか。

多くの方にとっては、マンガやドラマのように、新たなロマンスの始まりを期待させる、甘酸っぱいものなのだろうと想像する。

しかし、私にとっては、覗いてみたいが近寄れない、結界ゾーンのようだ。

では、家族にとってはどうなのだろうかと、考えてみる。

「いつ産まれても、おかしくない。」

家族のお腹は、一年中そんな状態だ。

そんなメタボディを堂々と昔馴染みに披露する。

考えてみたら、すごい勇気だ。

ロマンスなどというフワフワしたものなど、宇宙の彼方まで吹っ飛ばされるに違いない。

ということは私は、あの家族に、記憶力だけでなく、思い切りでも負けている。

・・・・・・全然悔しくない。

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お花見のとも

が眠る霊園では、春、モクレン、桜などが咲き誇り、それは見事な景観になる。

毎年、桜が満開になる頃を見計らって、父の墓参りを兼ねて、花見をする。

じようにレジャーシートを敷いて、お弁当を広げている家族連れも多く、お花見スポット化しつつあるようだ。

今年もそろそろと、身近にある桜の開き具合を気にしながら車を走らせる。

家族が仕事場の人と近所のお花見スポットに出かけたが、まだ3分咲きだったという。

仕方なく甘酒を飲んで帰ってきたというが、暖かくなるとパッと開いてしまうこともあるので、油断が出来ない。

去年は見込み違いで寂しい思いをしたので、今年は見頃ドンピシャをねらって、いつもよりも慎重に観察している。

ところで、花より団子は、お約束。

お花見にかこつけて、お弁当を、青空の下で食べに行くようなものだ。

お弁当は家から持参しないで、途中で買う。

空港が近いので、飛行機の音、小鳥のさえずりを聞きながら、ほおばる。

お天気がよくて、ぽかぽかと穏やかな日だと、本当に気持ちいい。

しかしこの時期、割と天候が安定せず、季節が後戻りしたかと思うほど冷え込むことが珍しくない。

以前、事務所主催で、夜桜見物に行った。

場所は、広大な某企業の敷地内。

ちゃんと許可は、頂いてある。

い出し係を仰せつかった私は、個人的な欲求に逆らえず、ケンタッキーフライドチキンの、バケツを抱えて合流。

さぞや盛り上がっているかと思いきや、シートの上の皆はおとなしい。

を抜いて上がり込むと、底冷えした地面から熱を奪われ、寒気がしてきた。

かな訳が、分かった。

しかし、救世主が舞い降りた。

上司が気を利かせて、梱包用のエアーキャップを持って来てくれたのだ。

あの、クッキーの缶などに入っている、プチプチだ。

きくビラリと広げた上に移動すると、ホンワカあったかい。

がぜん元気が出て来て、飲めや歌えと、大いに盛り上がった。

が買って来たチキンの樽も空っぽになり、ホッとする。

時間も遅くなり、そろそろお開きにと、片付けが始まった。

さて、「救世主」をどうしようか。

設置してあるごみ箱には、入りそうにない。

そこで、少し離れた場所で花見をしている方々に差し上げると、すごく喜こばれた。

えてみると、あったかい敷物という他に、急に天候が崩れて降ってきてもかぶって凌げるし、軽いし、エアーキャップは優れものだと思った。

以降、通販の梱包に大きめのものが入っていると、くるくる丸めて取っておく。

レジャーで出掛ける時はそれを、車のトランクの隅にスポッと差し込んで行く。

あと、凍らしたものを、これで2重3重にきっちりくるむと、以外に溶けないものだ。

少量で、クーラーボックスに入れる程でもないなら、エアーキャップで包むとかさばらない。

さくても、重ねて敷けば座布団代わりにもなる。

ただし、しっかりした丈夫なエアーキャップでないと、踏んだ時、体重でプチプチが割れてしまうという欠点があるが、お出かけのお供にいかがか。

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しっぺがえし

今日は、地元の小学校の資源回収日だった。

新聞、雑誌、ダンボールに、パッケージペーパー、古着、アルミ缶などを回収してもらう。

回収は毎月あるのだが、年3回の小学校主催以外の月は、地域の子供会さんが行ってくれる。

通販大好き故、ダンボールが溜まる。

回収日前日には、隅から引っ張り出して、ビニールひもで「うんしょ」と縛る。

そして、雑誌やカタログなど、他に出すものはないかと家中を探し回る。

そんなときは自分が、トリュフを掘り当てる、ブタさんになった気分だ。

堀々し過ぎて必要なものまで出してしまい、家族にひどく叱られることもたまにあるが、家のスッキリには代えられない。

よって、今は片付いた状態で、いい気分。

ところが、子供会さんが、活動を休止するというニュースが飛び込んできた。

ということだろう。

新聞は、回収業者さんが定期的に回ってくるのでそちらに出せばよいが、ダンボールだけは残ってしまう。

小学校の回収はあるものの、数ヵ月ごとでは、部屋の中が段ボールだらけになってしまうではないか。

休止の理由は、役員さんのなり手がいないことだという。

に最近、あちこちで耳にするフレーズだ。

その話し合いの中で、自分はやりたくないが、続けて欲しいといった人がいるという。

たすべき義務を拒否して、権利ばかり主張する人はどこにでもいるようだ。

これでは、頑張っている役員さんたちも、報われないと感じても仕方ないなと、同情する。

とりあえず、長い間ありがとうございました。と、心からお礼を申し上げたい。

休止すれば、子供会さんの有難味も痛感するに違いない。

どうぞ、ゆっくりお休みください。

でも、段ボール、どうしよう?

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愛にこたえる

バレンタイン商戦が終わると、売り場はすぐにホワイトデーに早変わり。

家族が職場から頂いたお気使いに、お返しを用意するのは私の役目だ。

というより、ホワイトデーに限らず、放っておくと何もしないので、せざるを得ないのだ。

今年は何にしようかな?

表面では渋々を装っているが、内心はワクワクだ。

気心の知れた相手なら、好みが分かるから楽なのだが、そうでない方にはどうしても無難なものになる。

えて、相手に気を使わせないレベルも考えなければならない。

だが、プレゼントを選ぶのは、大好きだ。

ところで、ホワイトデーは、キャンディーやマシュマロ。

なんて、また製菓会社の陰謀だったのだろうか。

チョコのお返しが、飴やクッキーなどと相場が決まっていた時期がある。

冗談じゃない」。

チョコで返せ」と、いつも思っていた。

女性のほとんどが、チョコレートの方を好む。

堂々と主張する女性陣の声を反映してか、徐々に「お決まり」が消滅しつつあるように感じる。

義理」の予算を削り、この時期限定の高級チョコレートを、自分用にとワンサカ購入する人が珍しくない。

察しのいい男性が、「逆チョコ」を贈り出したのも、頷ける傾向だ。

贈り物といえば、最近新聞の記事で知って、大変驚いたことがある。

の込もったプレゼントの代表と思っていた「自家製のお料理」が、今歓迎されていないというのだ。

どんな環境で作ったか分からないから」

の手が触れたものってちょっと・・・」

など、今まで好感度が高かった「手作り」「ぬくもり」が敬遠されるらしい。

ほぉぉー!

ばれるものと信じ込んでいたが、今違うのかぁ。

笑顔だったあの人も、内心嫌だったのかも・・・。などと、しょんぼりしてしまう。

の集まるところに、手作りケーキなどを差し入れするのが好きなので、軽くショックだった。

正確には、悲しいというより、世の中にある、いろいろな価値観や感性がまた一つ顕わになり、「目から鱗」に近い感じだ。

いなー。

って、どんどん変わってるんだなー。

、しばらく考え込んでしまった。

こんなに多様な価値観を受け入れてる時代って、これまでなかったのではないか。

に、抑えられていた反動からか、女性が今、自分を思い思いに表現している。

これでは、男性は、益々女性が分からなくなっているのではないか、と心配になる。

独身の男女が増えて、出生率が減っているのにも、なんか頷ける。

うむむ

だ独身の男性家族を振り返る。

どう見ても、現代の逞しい女性から、手玉に取られるタイプだ。

手玉でもいい。

頑張って、幸せになってね。

お返し」を選ぶ目に、気合いが入る。

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切 磋 琢 磨

通販大好きなので、あちこちのお店のメルマガを楽しみにしている。

っていて、読み物としても役に立つもの。

店主さんや担当者さんのお人柄がにじみ出ている、読んでいて心温まるもの。

写真がいっぱいで、見とれてしまうものなど、いろいろで飽きない。

先日、いつものように開いたメールをみて、唖然とした。

とある大手ショッピングサイトで、連続トップの売上商品をこっそり購入し、「自社製品の方がこんなに優れていますよ」と、比較していたのだ。

こちらの方が、絶対にいい品物なのに何故・・・・。」と、よほど悔しい思いをしてきたんだろうなとお見受けした。

、読んでいてなんとも後味が悪い。

本当にいいものがどちらかを公平な目で見て明らかにするのは、消費者の利益になる。

しかし、ライバルと同じ値段にするために、材料を「駆けずり回って、集めました!」とのご報告や、営業担当者から「泣き」が入ったなどは、見苦しいだけの余計な情報だ。

両方を冷静に比較し、自社製品の利点をアピールするだけならまだいい。

だが、それだけでは飽き足らず、ライバル製品を徹底的にこきおろしてしまっている。

自分をどれほどおとしめているか、全く気付いていない。

さっさと消去し、メルマガ登録も解除した。

書き込みにも書かせてもらったが、そこから購入したものの品質は全て、決して「良品」といえるものではなかった。

一言で言って、「安かろ、悪かろ」の典型だった。

経営者がああだから、しょうがないのか、とまで思ってしまった。

もっと、いいお店探そう。

様々なお店を利用するうち、自然に「良店」「嫌店」の法則を見つけた。

まず、かのお店のように、経営者や担当者が頻繁に「顔出し」するお店は、自分の中で警戒警報だ。

会社案内的な部分に、控え目に出ているだけでも、ちょっと注意する方がいい。

「出たがり」程、販売品や消費者を気遣うことが疎かになると思われる。

に、頻繁に更新をして、常に正しい情報を伝えるのは当たり前のはずだが、売り切れているのに「発売中」となっていて、お客さんを一番がっかりさせる行為をずっと続けているお店は、期待はずれのことが多い。

疑問やクレームへの対処の仕方も、そのお店の本質が直に出る。

先日、期間限定の福袋的な買い物をした。

購入を検討しているときにチェックした書き込みは、かなり不評が渦巻いている。

~~ん。

んだが、不評部分を改善するような意味合いが、商品説明に含まれていたので、買ってみることに。

いた商品は、包装も丁寧で、私には満足の品物だった。

、同じものが届いたはずの方々の評判を読むと、散々だった。

あれれ

思っていたら、お店からメールが。

こちらの目が行き届かず、一部のお客様の商品に、説明と違う状態が見られました。お客様の商品は大丈夫でしたか。お申し出があれば、改めて厳しく検品したものをお届けいたしますので、お知らせください。」

に「満足」との書き込みもした位感謝していたので、「こちらは大丈夫です。ご心配なく。」と返信した。

いいお店だな」と思った。

こういうお店なら信頼できるし、これからも買おうと思わせる。

ネットでのお買い物で「便利だな~」と思うのは、家に居ながら全国のものが届けられることだけではない。

と言っても、カタログ販売と違って「レビュー」が豊富にあることだ。

よからぬことを考える悪質店が、多少の情報操作ができなくもないだろうが、さすがに数百件もあると「本音」の割合が随分高いはずだ。

まず読む前に、情報を整理する。

実際に購入した人の意見だけでいいので、未購入者のご意見は外す。

どんなに有用な情報であろうが、自腹を切ったお方のご感想をお聞きしたいからだ。

そして更に、あえて好意的でない点数をつけた人のご意見から読むようにしている。

「もう買いません!」などと怒らせてしまう程の品質なのか?

お店の対応が最低です。」ほほー。

いこと程、参考になる気がする。

行き違いや、期待の大きすぎ、思い込みと、買う方にも落ち度がないとは言えないだけに、冷静にみる。

徐々に高評価のご意見に移行していくと、最初から気持ちにブレーキがかかっているので、衝動的にならずに済むという、利点もある。

沢山のご意見を参考にさせてもらったご恩返しに、自分も購入したら、必ず書き込みをする。

ませてもらって、「そこが聞きたかったのよ!」という要求を満足させてくれた書き方を見習うようにしている。

には、注文して到着を待っているうちに書き込みをなさる方がおられる。

申し訳ないが、「書かない方がまし」の部類に入る。

よくある、「母にプレゼントして、喜ばれました!」も、物足りない。

お母様がお使いになったご感想をお聞きしたいからだ。

たかが口コミ」、と侮れぬ。

お互いに正直で有用な意見を伝え合い、いいものは広め、よくないものは、それを見極める目を磨けたらなと願う。

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春がくるまえに

今年も年賀状を書き終えた。

例年、白紙の年賀はがきに、干支の動物が連想されるモチーフを描き入れる。

使うのは、クレヨンと水彩絵の具だ。

クレヨンは絵具をはじくので、多少はみ出しても、それがむしろ味になる。

今年は少々楽をして、ユニセフの絵入り葉書を初めて購入してみた。

再生紙のそれは、白過ぎない優しい地色で、絵柄も凝っている。

ネットやカタログでは分からなかった微妙な質感も良く、大変気に入った。

売上の一部が、寄付にもなるところもいい。

一つ出す相手に申し訳ないのは、年賀くじが付いていないことだ。

くじ付きの切手を探したが、どこも売り切れている。

さんの切手すら、やっと手に入れた。

準備が早いなーと感心する。

の年賀状は毎年、両面の全てが手書きなので、自然に出す人を絞ってきた。

まず、気持の向かない相手には、出さないようにする。

相手から来たら、返事を出すを繰り返していると、向こうも察してやがて途絶える。

その代り、出したいと思う人には、相手のことを思いながら、心を込めて書く。

今年は、相手のご事情もあり、10数通。

していない相手への返事を合わせても、例年20数通だ。

ところで、年賀状は、長年保存するのは、風水上良くないらしい。

相手の住所などを確認、住所録などに転記したら、その年の立春までに処分するのがいいそうだ。

ほほー。

いてからすぐに、3冊あった分厚い年賀状ファイルを、全て処分してスッキリ。

ペットを亡くして、喪中の葉書を発送する方がおられると聞いた。

お気持ちはよく分かる。

しかし、出すなら、仕事関係の方を避けるなど、相手を選んだ方がいいとの意見がある。

なるほど。

身近にペットがいない人が受け取ったら、共感してもらうのは難しいかもしれぬ。

が病に伏せているとき、快癒の願いを込めて年賀状を準備していた。

しかし、討ち入りの日に旅立ち、まだ手元に残っている。

の春が来る前に、天国に向けて出すことにしよう。

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手紙をください

ドイツがまだ、東西2つにわかれていた頃、西ドイツの女の子と文通していた。

文通という言葉は今、もはや死語に近いのではないか。自分で使っていても古めかしい言葉だなと思う。

世界中と瞬時にやり取りできるメールがあるから、最近ポストに近付いてさえいない方も多いかもしれぬ。

めたきっかけは、学校の英語部の顧問の先生の勧めだ。

もあるのだろうか。日本ペンパルクラブに、文通相手に関する希望を伝え、料金を払って仲介してもらう。

習いたての英語を使って、一から手紙を書くのは大変だ。

本屋さんに行くと、海外文通の例文集なるものがあり、これを利用していた。

身の回りの出来事を報告する文から、日本の文化を紹介する例文まであり、一部分を変えて便箋を埋める。

どうしてもわからない言い回しがあるときは、日本語を書いたメモを顧問の先生にお願いして、英語にしてもらっていたので、イギリスの女の子から、「あなたはどうしてそんなに英語がじょうずなのですか?」と、返事に書かれてきた友人もいる。

文通相手のスザンヌは、乗馬が趣味であった。

深く追求してはいなかったが、案外セレブだったのかもしれぬ。

そっちが忙しかったからか、返事が来る間隔が長い。

に、私の片思い状態が続く中、お互い自然に手紙を出さなくなった。

元気でいるだろうかと、時々思う。

文通をやってよかったことの一つは、なんとなく英語に馴染めたことだ。

相手に通じたという自信も大きい。

は英語が母国語の子と文通しなかったので、お互い勉強中のところがあった。

しかし、ヨーロッパの言葉は、英語の親戚語みたいなものだから、母国語で文章を組み立てて、単語を入れ替えれば、それらしくなるのではないかと思ってしまう。

ところで、日本語は、どうしてあちらと真逆なのだろうか。

最後まで聞かないと、イエスかノーか分からないところは、すごくいかしていると思うが。

日本語が世界の公用語なら、外交面でもっと相手を煙に巻けるのに、英語を使わないといけないので、それも出来ぬ。

言語系統の違いが、外交下手につながっているのだとしたら、なんとももどかしいことだ。

英語のように白黒はっきりさせたいのが、若者の特徴なら、曖昧のままで結構と、余裕を持てるのが、大人というものか。

しかし私の場合は、シカマル並みの面倒くさがりなので、どうでもいいという極致に達したのかもしれぬが。

と比べあの頃は、わくわくと切なさが、自分の中で極端だったなと、思い返す。

ポストの隙間から覗き、しましまのエアメールの封筒が見えたときの感激。逆になかった時の落胆。

クリスマスなどに届いた、スザンヌ手作りのクッキーの不思議な味。

にも、ベルギーのサッカー少年、ピーターとも文通していた。

も、いいおじ様になっていることだろう。

スザンヌよりも筆マメだった彼の手紙の数は膨大で、文化祭の展示でスペースに並べきれず、注目を集めたものだ。

便せんや封筒に凝ることや、季節や手紙の内容にピッタリの記念切手を貼って相手を驚かせることは、メールではできない。

大事な人にこそ、手紙を書こう。

面倒くさがりの私の、数少ないこだわりだ。

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もどかしきこと

、カーステレオを修理に出している。

ぽっかりと空いた空間の奥、配線がむき出しになっている。

がない寂しさは、私よりも家族に大きな痛手となっている。

いつもコブクロを大音量にし、我も負けじと熱唱する家族。

か過ぎて、普段耳にしない音をキャッチ。

異音がすると、スバルへ持ち込む。

、燃料ポンプの音で、許容範囲内だとの判断をもらって帰って来た。

いつもしていたのだが、コブクロでかき消されていただけだったようだ。

知人が勤めている、中古車販売会社の駐車場が、車上荒しにあった。

ランクル等、高級車ばかり6台が被害に。

乱暴に取り出されたオーディオだけでなく、そのせいで電気系統に被害が及び、エンジンもかからなくなったということだ。

が家の愛車フォレスターは、幸か不幸か、狙われる車ではない。

オーディオも、純正だ。

しかし、今の有様を人が見たら、被害車と間違うのではないかと思う。

ペットショップボーイズを、車中で聞けない家族のいらだちも頂点に達しつつある。

く帰ってこないかなと、家族全員が首を長くして待っている。

を運転していて、他車にメッセージを送りたいと思うことがある。

を譲るとき、「お先にどうぞ~」とか、譲ってもらって「ありがと~」など。

を走っている車に、「右のブレーキランプ、切れてますよ~」も、言いたくてたまらない。

以前、若い女性が運転する前車のタイヤが1本、かなりやんちゃな様子だった。

ボルトが相当緩んでいるのだろう。後ろから見ると、すごいスピードで8の字を描いて、ブレている。

これは危険だ。

信号で止まったら、すぐに教えようと構えていたら、このときに限って引っかからず、彼女は私が向かう方向から外れ、走り去ってしまった。

いかければよかったか・・・。と、しばらく後悔した。

現状では、ライトを利用した合図があるが、双方が全く逆の受け取り方をする恐れがある。

パッシングされ、譲られたと思った車と、「こっちが優先だ」と合図した車同士の衝突などだ。

このような危険を避けるため、明るいコミュニケーション手段があってもいいのではないかと思うのだが、どうだろうか。

運転の下手な私には、「トロトロ走ってんじゃないよー!」など、言いたい人がいると思う。

こんなこと、見ず知らずの人から言われたら、落ち込む。

よって、ネガティブメッセージは、ご遠慮願いたいが。

道路わきに駐車中の車に近づくと、発車しようと動き出したので、後ろについた。

トランクの上で、何かが動いているのに気づいて、目を凝らす。

やっぱり、セカンドバッグだ。

まず、クラクションを鳴らすが、止まる気配がない。

パッシングを加えて合図し続けると、ようやく止まってくれた。

用心顔の相手に構わず横付けし、窓越しにバッグの存在を知らせると、「アッ、いけない!」と御主人。

助手席の奥さまが、お辞儀をして下さった。

が御主人の立場だったら、怖くてそのまま走り去っていたかもしれぬ。

バスは、ハイジャックなどの緊急用に、外に向けてメッセージが送れるようになっている。

普通車も、相手のためになるようなメッセージを送れたら、運転中お互いが気持よくなるのではないか。

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でぃすたんす

昭和生まれである。

下町育ちである。

よって、両親の近所付き合いは、現代よりもかなり親密だったと思う。

若い方には、驚かれるかもしれないが、調味料を切らしてしまい、隣人に「借りる」ことは珍しくなかった。

のように、コンビニも、24時間営業のスーパーもないのだから、当然なのだ。

定休日なしの店舗が珍しくない時代だ。

お財布を持って出れば、必要なものはいつでも手に入ると、消費者は油断している。

の小さい頃は、そんなことをしていたら大変だった。

年末年始の営業は、どの店も1斉に1週間程休んでいた。

よって、年の瀬が近づくと、買い物に何度も駆り出された。営業終い間際に駆け込んだ八百屋で、しおれかけたセリ残り1把を手にできた幸せは、今でも覚えている。

天然の冷蔵庫代わりのベランダに、じゃがいもなどの根菜や、ミカン箱、おせち料理のタッパーなどを積み重ねる。

1週間分の食糧をため込んで、まさしく、冬ごもりをする気分だった。

そんな不自由が、買い物に限らず、日常のあちこちにあったため、人との協力なくしては、生きにくい時代であった。

よって、自然と他人との距離は近くなるのだ。

その頃は、ご近所の人がしょっちゅう家に出入りしていた。

週末の夜になると、父の将棋仲間がやって来て、勝負が夜中まで続く時もあった。

のお茶飲みもお互いの家で盛んにあり、他人の噂話などが、自然に耳に入る。

身内自慢になるが、両親の人付き合いは、礼節と思いやりがあり、今でも私のお手本になっている。

の悪口はほとんど言わないし、感情を表に出さず、誰にでもわけ隔てなく接していた。

の場合それは、祖母の影響だと言う。

いつ他人のお世話になるか分からないんだから、人には親切にしろ。」が口癖であったとのことだ。

は、できた人間ではないので、つい、好き嫌いが表にでてしまい、反省することばかりである。

その度、祖母の言葉が至言であると思い知らされるばかりだ。

暖かい人間関係を結んできた母達を見て育った私なのに、今、近所付き合いをほとんどしていない。

近所で会うと、知らない人にでも満面の笑みで挨拶をするぐらいだ。

の時代、それで十分な気がする。

それは、自分の失敗から得た結論なのだ。

以前は、越してきてまもなくなので、早く地域にとけこみたくて努力をした。

そんななか、親しくなった人たちとの付き合いが長くなるにつれ、いろいろなトラブルが発生した。

私は、他人を詮索するのも嫌いだし、されるのも嫌であるが、そうでない人が多すぎるのだ。

近所の小学校の先生が不祥事を起こしたとき、我が家の電話が鳴った。

1番親しくしている人からで、その事件の情報収集をしており、私も何か知らないかとのことだった。

そこまでしているのかと、大変びっくりした。

その後、その人の家庭の事情のために、地域の催しを変更させようとしたり、それが思うようにいかないと、責任者だった私に嫌がらせをしたりされて、切れた。

も言わず、その人との付き合いを、1切合財切り捨てたのだ。

かなり、陰口を言われたと思う。が、私の耳にそれを入れる人自体がいないのだから、大体は平和でいられた。

ご年配の方から、いきなりキツク当たられたときは、その人のグループの1人が、ウソの告げ口をしたのだと、大分後になって、当たったご本人から聞かされた。

普段の通りに挨拶だけは続けたが、あからさまに無視されて、その時は辛かったが、そのお陰で疑いが晴れた。

本当に、いつかは分かってもらえるときがきっと来る。今つらい人も、がんばって欲しい。

ということがあり、私が出した、ご近所付き合いの極意。

挨拶は、いつもきちんと、気持ちよく。

普段からそうしていると、特に付き合いなどしていなくても、地域の催しなどで顔を合わせれば、気持ちよく協力し合える。

なまじ、いろんな人の噂話など聞いていると、その人に変な先入観を持ってしまい、ぎこちなくなる。

最近それを、母に打ち明けたところ、思いがけず大賛同を得られた。

も、現代の風潮にさらされ、同じ結論を得、実行していると言う。さすが我母。

どこにでもいる、噂話の宝庫は、あなたの味方などではない。

宝庫は、あなたの打ち明け話と、新たな噂話を交換しているから、宝庫でいられるのだ。

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