育児

耳にいたし 心にやまし

もう、ご勘弁ください。

先程から数時間、叱られっぱなしだ。

かなりニブチンの私でも、これは、堪える。

江原啓之さんの、「ニッポンを視る!『怒り』の時代を生きぬく方法」を、読んでいるのだ。

ニッポンを視る!――「怒り」の時代を生きぬく方法 Book ニッポンを視る!――「怒り」の時代を生きぬく方法

著者:江原 啓之
販売元:講談社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

昨年から週刊現代で連載されたものに、緊急提言を加えて一冊にまとめたご本。

の流れに沿って、3章で構成されており、どれも最近起きている事件や事象を取り上げているだけに、身につまされる。

2009年は「怒り」の年、と霊視したことが、正に具現化していることへの危機感が伝わってきて、どれも人事では済まされないのだと、思わざるを得ない。

年末にマスコミが発表する、「今年の10大ニュース」。

の子供の頃なら、数年に一度あるかないかの大事件が、この頃は数珠繋がりに起きており、とても10に絞れないと感じる程だ。

これは、「大ニュース」に事欠かないマスコミだけが、喜んでいるのではないかと思われる、異常事態だろう。

これらを、一つ一つ取り上げ、スピリチュアルの視点から読み解き、「じゃ、どうしたらいいのか」を丁寧にアドバイス、提言してくれる、心の拠り所本になっている。

なのに、日頃から気の向くままに生活している私にとっては、「お小言」に感じられる。

しかも、各項ごとに相応しい四文字熟語をあげておられるのだが、初めて目にするものが続出で、余計に打ちのめされる。

っていても、読みが間違っていたり、意味を取り違えて覚えていたりで、散々だ。

えば、「不買美田」。

ふばいびでん」と、読みは素直で大丈夫。

、意味は、全く分からなかった。

美田」とは、収穫のよい、田のこと。

や孫に苦労をさせまいとせず、あえて財産を残さないことが、全体の意味だという。

この項では、親子が互いに依存し過ぎだと、戒めておられる。

親子であっても、別々の人間である以上、それぞれが自立して生きていかなければならない、と。

はい。本当にその通りです。

えば、家族に知らず知らず甘えてる部分が多い。

多少なら、相手のやり甲斐位になるかもしれないが、全体重をかけられたら、どれだけ「重い」か・・・・。

今日中に読もう。」と思っていたが、反省の時間が多すぎて、なかなか進まない。

ちょっと、休憩。

思ったら、学校を休ませて、レジャーに連れていくのが、この頃は学校も容認?というニュースが。

ませる理由として、ツアー代金が、平日だと安いから。とか、

家族が平日しか休みを取れないから。など。

学校休ませて、ディズニーランドかー。

学校側も、保護者の意向だから仕方がないと、表立っては反対しないという。

後々親と揉めたくないというのは、分からなくもないが、明らかにおかしな対応だ。

しかし、もっとおかしいのは、お家の人の意識だろう。

義務教育」の「義務」は、教育を受けさせる義務だ。

それは、国が国民に、親が子にという意味で、この頃は、義務教育を「国から受けられるサービス」、と勘違いしている親が多いのではないか。

子供は、国の宝でもある。

が、自分の子供とはいえ、教育を受ける機会を奪うことは、義務違反なのだ。

そして、毅然とした態度で臨まない学校側も。

は、大人の鏡」

まず、大人から変わらなければならない」

、江原さんはいつもおっしゃっている。

多くの問題が、ここに集約される。

私達」が、変わらなければならないのだ。

| | トラックバック (0)

ただ あ 痛くて

電話が鳴ったので取ると、知らぬ会社さんからだった。

こうも、私を全く知らず、別人が出ることを期待して、ダイヤルしたらしい。

メモを読みながら、番号を復唱する相手。

かに、私の番号だ。

再度ベルが鳴る。

び私の声を聞くと、明らかに失望し、「変なところの番号教えたな・・・」と呻くように呟く。

なところ」扱いされたことよりも、かなりダメージを受けている様子の相手が気の毒で、

なんかでごめんなさい」まで思ってしまう。

かにつけて、自分を責める癖が小さい頃からあって、思い返すと理不尽な思いを数々した気がする。

どうしてそう思ってしまうのかと考えた。

えば、小さな頃から褒められることよりも、たしなめられることの方が多かった。

両親共によく言えば照れ屋で、いい感情は胸にしまっておくが、怒りや不満は正直に口にした。

よく外国のドラマで、わが子を他人の前で誇らしげに語るのとは、対照的だ。

謙遜は、日本人が美徳としてきたのだから、両親が特に変わっていたわけではないと思う。

、小さな子供には、そんなことは分からないので、自分は両親を喜ばせることが出来ない、いけない子、という認識に陥ってしまったのだろう。

なんてかわいそうな、自分。

思わないでもないが、そんな私が、いろいろなことに揉まれ、今の自分になったと思えば、まあいいか、と思う。

見渡すと、この頃一部の親御さんは、両親とはかなり趣が変わってきているように見える。

新聞の投書に、それを象徴する、印象的なものがあった。

歳のお子さんをもつ、お父さんからであった。

き地でお子さんと遊んでいたら、土地の所有者と思しき老人に、叱られたというのだ。

たところ何もないようだが、そこには大事な植物が植わっていたらしい。

お子さんを、伸び伸びと育てたいお父さんは、

よくあった「空き地」が減ってしまったことを嘆き、老人の狭量と、柵もせず叱った行為を責めていた。

それは違うんでないかい。

、思った。

まず、社会にはルールというものがある。

に迷惑をかけないという大前提が。

かなりな勢いで叱られたなら、瞬間的に怒りも沸こうが、大人が、お子さんの悲しみに同調してどうするのだ。

びっくりしたね。でも、土の下にお花の赤ちゃんが寝てるから、邪魔しないように、あっちで遊ぼうね。」

ぐらい言って、その年齢に通じる言葉で、他人のものを、勝手に使ってはけないことを教えるべきではなかったか。

人様の土地を無断で利用するだけでなく、自分の立場もわきまえず相手に怒りを向ける。

まるで、他人の家に勝手に上がり込み、お茶も出さないと腹を立てているようなものだ。

子供を窮屈に育てたい」親など、どこにもいないと思う。

、「伸び伸び」を免罪符のように掲げ、周りが譲るのが当然と思っている行動が、あちこちで目に付き、見苦しいことこの上ない。

両親の口癖の一つに、「人からされて嫌なことは、人にするな」がある。

子供心に、いろいろなことがある度思い出し、自分を戒めていた。

王子様に、お姫様。

い世代程、かしずかれることに慣れてしまっている。

自分の思い通りにいかないときは、とりあえず周りのせいにして、反省しない。

てがそうだとは、もちろん思っていないが、全体的に、もちっと、お互い譲り合う優しさが欲しい。

、親御さんたちは、どんな言葉をお子さんに送っているのだろう。

お子さんにとって、思い出す度心をあたたかくする、一生の宝になるような言葉をプレゼントして欲しい。

きっとそのぬくもりは、お子さんから周りに広がっていくだろうから。

| | トラックバック (0)

カーマのきまぐれ

大分前になるが、「読むクスリ」でイギリスの子育てについて読んだ。

ある日本人女性がイギリス人の家庭で、イギリス流子育てを目の当たりにし、影響を受けたという話題だった。

育ての経験のない私にとっては、驚くと同時に、感心する育児法だった。

それは、赤ちゃんが泣いても、具合が悪かったりしない限り、すぐに抱かない方針だった。

かといって、今問題になっている、ネグレクト(育児放棄)ではない。

母親は、赤ちゃんが泣いている間中ずっと、子ども部屋のドアのカギ穴から心配そうに覗いていた。

やがて赤ちゃんは、泣かなくなる。

ぐずらない」ことは、親にとって大変ありがたい。

その女性は、自分の子育てにも、迷わず「イギリス流」を実行し、泣かない赤ちゃんを育てた。

ほー。子育てにもいろいろあるんだなー。と驚くと同時に、「泣かない」ということが、セルフコントロールを身につけた賢い子に育つイメージを持った。

それからほどなくして、「サイレント ベビー」が話題になった。

かある小児科のお医者様からの警告だったと思うが、病院の待合室がやけに静かになったことが、赤ちゃんの異変に気づくきっかけだったという。

診察しても、表情が乏しい、笑わない、活発さがないなど。

ちゃんにとって、泣くことはコミュニケーションだ。

どんなにボールを投げても帰ってこず、放っておかれたら諦めてしまうのだろう。

を与えられないと、人として健全に育つことができないということは、容易に想像できる。

ちゃんらしくない赤ちゃんは、成長してどのような大人になったのか。

度々報道される、「思いもかけない」「理解できない」事件を起こした人々は、社会人が共通に持っていると思われた規範意識に欠け、自制心の壁をいともたやすく超えてしまったように見える。

様々な要因が絡んでいる中、「愛された」という実感のない人が起こした事件が少なからず含まれていると思う。

そうなると、もちろんすべてではないだろうが、期せずして、「サイレント ベビー」に育ててしまったあの国が気になる。

実際は、我が子を思う気持ちに溢れていたのに、子供にそれを伝えられないままなら、心配だ。

そういう目で見るからか、イギリス人に抑圧された何かを感じる。

パンクファッションはイギリス発祥だし、「世界びっくり人間」などに登場する、はっちゃけた人には、イギリス人が必ず含まれている。

イギリスの男性と離婚後、イギリスに住み続け、念願のイギリス年金生活を獲得した高尾慶子さんのご著書にも、「おかしい」のワードが度々出てくる。

イギリスの福祉政策が至れり尽くせりなのは聞いていたが、慶子さんのご本を読んで想像以上なのに驚いた。

日常掛かる医療費、交通費は無料。

むところからして、福祉サービスで優遇してもらえる。その他にも、たくさんの恩恵を受けられる。

高い税金も、このように使われるのなら納得だし、羨ましく思っていた。

、ふと思った。

福祉の充実は、身内をあてにしない国民性から来ているのではないかと。

移民の受け入れで、多民族国家になっているからかもしれないが、育てられ方の影響で人を信じることができない国民が大勢なら、一日も早く育児法を改善し、泣いてる赤ちゃんを抱っこしてあげて欲しいと思う。

イギリスの「カルチャークラブ」が世界に放った大ヒット曲で唄われたカーマは、カメレオンのように捕まえどころのない女性だ。

ご近所さんに、カーマがいる。

うたびに、印象ががらりと変わるのだ。

ファッションの系統を乗り換えるわけでもなく、お化粧はほとんどせずに、だいたいスッピンだ。

から見ると、ちょっとした髪型の変化だけのようだが、少し会う間があくと、「見知らぬ人」になってしまう。

一緒に役員までした仲なのに、知らない人と認識し、構えてしまうのだ。

見ると、カーマではないか。会う度に驚かしてくれる。

スタイル抜群で、顔は「篤姫」で滝山役の、稲森いずみさん似だ。

して私は、「変わらないね~」と、半ば同情を含んだニュアンスで言われることが多い。

に、他人が勝手にこさえた枠を壊す人って、すごいなと尊敬する。

こういう人こそ、女優になればいいのにと、やっかみも込めて思うのだ。

| | トラックバック (0)

だだっこ

阪門真市の保育園に隣接した菜園が、府の行政代執行によって、強制的に収用されたニュースをみた。

まかないきさつしか分からぬが、菜園は保育園の理事さんの所有で、平成15年から買収交渉が始まったとのこと。

今年3月には、強制立ち退きが地裁によって決定され、高裁による判断が、今月30日にでるとも聞いた。

工事開始期限の日、府の職員が入り、土地の収用を行った。

子供たちの気持ちを踏みにじり、さつまいもの収穫までのあと2週間が、なぜ待てないのかと、園の関係者たちは言う。

しかし、職員に真正面からぶつかり、体を張って阻止する関係者らの様子を見ていると、2週間待ったら、「どうぞ」と菜園を渡したであろうかという疑問が湧いた。

強制収用の決定が半年以上前になされ、府側は何度も重ねた話し合いの中で、芋の収穫の前倒しもお願いしてきたという。

、今年の春、所有権が移った後も、菜園に野菜を植え続けていることから、たとえ芋を収穫し終えても、菜園を明け渡す気は、端からなかったのではないか。

開発の過程には、理不尽に財産を奪われてしまう人々の犠牲がつきものだということは、皆知っている。

長年住み、利用してきた自分の土地が、「計画」の名のもと、ある日突然取り上げられる。

自分の身に起こったら、誰もが同じように抵抗すると思う。

、今回の映像の中に、園児の涙の訴えや、叫びがあったことは、問題だと思う。

地裁に不服を訴えて、却下されたのは、菜園は代替地などで新たに始められるというのが理由だった。

園側の弁護士は、過去このような例で、地裁の決定が高裁で覆ったことが皆無に近いことが分かっていたはずだ。

の関係者が、本当に子供の気持ちを重視するのなら、新たな地に目を向けてスタートする時間はあったと思う。

最後の最後まで抵抗するのは大人の勝手であって、マスコミに取り上げられることを見込み、子供たちの涙を楯にしたり、世間へのアピールに利用したのだったら、大人のやることではない。

園児を動員した事実はなく、映像に映ったのは、登園途中に通りかかった園児らしいが、故意でないにしろ、一部の園児にあのような事態をさらしてしまった責任は重いのではないか。

らねばならないもののために、涙をのんで引くことが出来るのが、大人であろう。

この場合、本当に守らねばならないものは、菜園ではなく、子供たちの心だ。

信頼している人たちが泣きわめき、抵抗する様を見せつけられて、園児たちはどう思ったか。

は、時に理不尽なことも強いる。納得のいかないことは、世の中にたくさんある。

、どうにも思う通りに行かない事態に踏ん切りをつけ、「次の最良」を探すことも、人生では多々必要であろう。

今回大人達が、身をもって教えたのは、正反対の行為だ。

子供達は、大人が思う以上にたくましい。

今回のことでめげずに、新たな地で、美味しい野菜を笑顔で収穫する日がまたきて欲しいと心から願う。

事情をよく知らない他人が勝手なことを申しました。

| | トラックバック (0)

おとなって

大分県の、教員採用試験の不正が、日本中に波紋を広げている。

教育者の資質を、採用試験ですべて量れるものではないと思うが、合格点に達していない人物が、教壇に立っていたのは心配だ。

熱意に溢れた人材が、生活の安定を優先に考える人物と入れ替わっていたのだ。

何度も教員試験にトライしながら、不採用にされてきた人達の不満が、度々報道されている。

しかし、このことの、一番の被害者は、才能と熱意を持たずに教壇に立った人物の、教え子達だろう。

調査したところ、やはり全国的に行われていたと思わざるを得ない結果が出ている。

それが日本全体の学力低下や、学級崩壊、教育者が起こす事件に少なからず、結びついてしまったのだろうか。

学校がおかしい」と言われ始めて、ずいぶん経つ。

しかし、私は、大人全体がおかしいと感じている。

良識を持たない人が、どんどん増えていると思う。

お互いが、お互いの嫌がることをしないという、ごく当たり前であったことが、当たり前でなくなっているのだ。

成熟していない大人しか身近にいないのだから、今の子供は、丸腰で社会に放り出されることになる。

として、最低限身につけなければならないことを、全く教えられずに世の中を渡っていかなければならない。

受け止める社会の側にも、子供のままの大人の割合がだいぶ増えてきている。

よって、なにかあったとき、そういう逆コナン達によって、毅然と対処するエネルギーを削がれてしまう。

なにかと同情論が幅を利かせ、真相や原因を突き詰めていくことを妨害されてしまうのだ。

かくして、同じようなことが何度も繰り返されてしまう結果が生まれる。

は裁判員制度に、期待する面もあるが、怖いと思うこともある。

面接による、最終審査はきちんとやって欲しい。

逆コナンを、裁判の場に、絶対に入れてはいけないと思う。

そして、今最優先に考えなければいけないのは、教育現場の改善だろう。

やんやと口出ししてくる、変な保護者に対処する専門家をきっちり配備し、先生方に心おきなく教育に専念してもらう。

になる人達に対する教育も必須だ。

子供を健全に育成するために、法改正にも深く踏み込む必要があるはずだ。

現在は、ちゃんとした大人に育てられた人間は、少数派になっているかもしれない。

子供が子供を育てていると考えて、第三者がもっと深くかかわれるように、法を整備して欲しい。

こういうところにこそ、お金をかけないと、将来きちんと働いて税金を納めてくれる人がどんどん先細りになり、日本は崩壊してしまうだろう。

高齢化の前に、幼齢化を心配しなくてはならない事態だ。

この国を責任もって動かしていかねばならないトップの人たちが、逆コナンでないところを、ぜひ今すぐ見せて欲しい。

逆コナン:見かけは大人、頭脳(精神)は子供

| | トラックバック (0)

君に託す

テレビのインタビューで、母親が自分の子供について、「人を押しのけてでも、前に出るくらいの積極性が欲しい!」と言っていた。

それを見ていた友人の子供が、「僕、そういう気持ちになれないよ。」と、申し訳なさそうに言ったそうだ。

友人は、「私は、あなたを、そんな浅ましい子に育ててはいない。」と答えたという。

さすがは、わが友である。心から喝采を送りたい。

成功したといわれる人は、「無我夢中で努力して、気づいたらここに立っていた。」と、異口同音におっしゃっている。

本当に、社会のためになることをしている人物には、人は自然に道をあける。どうぞと、前に送り出してくれるものでは、ないだろうか。

人をないがしろにしてきた人間は、一時の成功のあと、必ず足をすくわれるときが来る。

ところで、今の政治に、満足している人はいないだろう。誰もが、100点をくれることなど、どんな政府でも、無理である。人によって、要求が違うのだから、あたりまえだ。

しかし、未来に希望を灯すことは、できよう。だが、今の日本には、その灯火は、はるか先にすら、なさそうに感じてしまう。

あきらめたら、そこで終わりである。では、どうしたらいいか。

まず、「格差社会」という言葉に呪縛されてはならない。才能も、財産も、親からしか与えられないと、思ってはいけない。

お子さんをお持ちの方々に、特に言いたいのは、「今の世の中、勉強なんかしても無駄だ。」などと、決して思ってはいけないということだ。

ユダヤの人々が、国土を持たず、世界中に散らばって活躍しているのは、どうしてか。安住の地がない故、自分が全てだからである。

土地や、財産は奪うことはできても、自分の中に蓄えた知恵や、知識は誰にも奪えない」と、腹をくくって生きているからである。

至言である。これを、ぜひ見習いたい。

努力をしないで、エリートが起こした不祥事や、事件を「ほらやっぱり」とあげつらうのは、凡人のひがみであると、つらいであろうが、自覚しよう。

親の役割は、子を社会に役立つ人間に育てることであろう。なら、まず、「人としてちゃんとした人間」にする事が、必須である。

その上で、学歴をしっかりつけさせる。そうすれば、いけない方向に曲がってしまうこともないし、ポッキリ折れてしまうこともない。

政治家の2世、3世の坊ちゃん、嬢ちゃんに庶民の感覚がないのは当たり前だ。逆もそうであろう。「いい人」が現れるのを、ただ待つのではなく、自分の子、身内の子を、立派な人に育て上げ、日本の未来を、土台から、変えていくのだ。

またまた、前振りが長くなってしまって申し訳なく思うが、以下お勧めである。

Book 子供を東大に入れるちょっとした「習慣術」 (祥伝社黄金文庫 わ 6-1)

著者:和田 寿栄子
販売元:祥伝社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

著者は、精神科医で、受験のカリスマ、和田秀樹氏のお母上である。「東大」という部分に、引いてしまわずに、「どうやったら、まともな、きちんとした親子関係を築けるか。人に感謝されながら、一人で生きていく力を、子につけさせられるか。」という視点で読んでみてほしい。

そして、次に、子の立場で書かれた本の一読をお勧めする。

そう、和田秀樹氏の著書である。上記も、手軽に購入できる文庫本だが、和田氏の著書も、たくさん文庫化されている。読むと、どれも、勇気が湧いてくる。中には、ご自身がどのように育てられたかが出てきて、おもしろい。両方の言い分を、知ることができて、ほほえましい。そして、最高学府に、子を送り込む決心を、したくなってしまうのである。

| | トラックバック (0)