臓器移植法の改正が、いよいよ現実化されようとしている。
年齢制限の撤廃で、お子さんの移植が国内で認められる見通しだ。
「脳死」が人の死であるか、未だ結論が出ないまま、助かるかもしれない命にのみ、スポットが当てられ続けている。
街頭インタビューを見ていると、自分が脳死になったら、提供してもいい。
が、自分以外の家族の場合は、戸惑うという意見が大方だ。
以前、本屋さんで手に取って衝撃を受けた本を、もう一度読み返す。
黄色いカードが、街中のあちこちで目にされ始めた時期だった。
「持ってはいけない!ドナーカード」
人道的精神に逆行する、強いメッセージに、思わずページをめくる。
そこには、題名を凌駕する、ショッキングな事実がぎっしり詰まっていた。
まず、臓器移植とは、「脳死」を人の死としないと、成り立たない医療行為であることを頭に入れて読むと、怖さが増す。
死後の臓器では、生着率が著しく悪くなるからだ。
「脳死」と判定された人の視床下部から、ホルモンが分泌されていることが発見され、ならば、低レベルながら、意識があることを否定出来ないと、主張する医師がおられる。
それを裏付ける事例として、脳死患者が出産をした例が、複数あるのだ。
分娩は、体内ホルモンの分泌から、全身の機能が複雑に、正確に働くからこそなされるはずだ。
驚くことに、この日本でも、脳死とされた人の出産が、報告されているとのこと。
私がこの本で一番最初に受けた衝撃は、臓器を摘出するために、体にメスを入れた瞬間に、血圧が急上昇し動いたため、慌てて全身麻酔や、筋肉弛緩剤を使ったという部分だ。
大分前に読んだ、梅図かずおさんの作品に、同じようなシーンがあった。
それと重なり、心の底からぞっとした。
その事実を、「法的脳死判定マニュアル」では、「脊髄反射」と片付けてしまっているが、それでは「脳死者の出産」の事実は説明がつくまい。
そもそも、脳死判定の中に、「無呼吸検査」なるものがあり、一定時間人工呼吸器を外すのだ。
その時点で、患者にとっては、致命的なダメージになる。
判定の名の下の、「殺人」といわれても、仕方がない。
医者の売名行為のために、強引になされた不必要な臓器移植での、犠牲者もいる。
また、障害をもった患者さんの治療を勝手に打ち切り、家族が拒否したにも関わらず、無理やりに臓器を取り出した病院もある。
この本を読んで見えてくるのは、移植でしか助からない患者のためと言いつつ、己の実績をあげたい医療関係者達のおぞましさだ。
「提供しない」という意思を明確にしても、病院という密室では、なにが起こるか分からない怖さ。
人体を、「資源」ととらえ、良からぬことを画策する者の出現も、危惧される。
では、移植によって、助かるかもしれない命を、どうすればいいのか。
自分が脳死となり、人工呼吸器で命を長らえるだけとなってしまったら、使えるものは使ってほしい。
とも、思う。
が、脳死状態でも、意識があり、痛みを感じると知った上で臓器などを提供すると、「生を放棄」したこと、すなわち「自殺」になるのだろうか?
スピリチュアルカウンセラーの江原啓之さんのご本にも、臓器移植に関するコメントが出てくるが、いつも言葉少なだ。
「逃げか、逃げでないか」とだけ、書かれてることがほとんどだ。
いつも、何が逃げで、何がそうでないのかが分からないで、読んでいる。
分かりやすく、的確な言葉を駆使して書かれているご本の中では、珍しく曖昧に終わっている。
生と、死。
無縁である人など、一人もいないのに、無意識に避けて通ってしまおうとする。
結論をもし出すとしたら、出来るだけの手を尽くして、「事実」を知ること。
そのうえで、各々が真剣に考え、出すしかない。
だから、答えは一つでは、ない。