経済・政治・国際

地球を抱っこ

温暖化のせいで、秋が長い。

いつもなら、早朝車のフロントガラスは、凍り始めている。

前日被せておいた霜よけを剥がすのが、朝一番の外仕事なのに、まだ出番がない。

あったかい日は、日の出前なのに、気温が二桁の日もあり、驚く。

地球よ、大丈夫か・・・・?

と、本気で心配になる。

小学生の頃、小学館のジュニアチャンピオンコース(だっけか?)シリーズの本に、「もしもの世界」というのがあった。

SF好きだったので、買ってもらって何度も読んだ。

内容は、ちょっと怖い。

題名通り、「もしも」のシュミレーションがいっぱい。

「もしも空気がなくなったら」というページでは、のどを掻きむしりながら苦しむ人々のイラストに、ドッキリ。

地球に空気がなくなる可能性が、科学的に解説されていて、怖さを増す。

他に、「もしも太陽が燃え尽きたら」など、人類の絶体絶命的ピンチがこれでもかと、書かれていた。

あの本よりも、地球のピンチは穏やかだけれど、近づきつつあるのかなと、この頃特に思う。

正しいかどうか分からないが、「結末」を既に本で見せられているので、焦る。

今すぐしなければいけないことがあるのでは・・・・?

と。

CO2は出ないけど、放射性廃棄物を出し続ける原子力発電所を、「エコ」って呑気に嘘ついてる場合じゃないと思う。

親分がこれじゃ、子分の私達がしっかりしなくては。

話が大きくなってしまったけれど、とりあえず私が今一番恐れているのは、

体重計だ。

早く冬にバトンタッチしてくれないと、食欲が暴走して困る。

親が親なら、子も子。

地球は一人一人が守るものなのに。

| | トラックバック (0)
|

国 産 フ ェ チ

なのはな生協で、青森ヒバの木べらを買った。

封を開けると、ふわっと木の香りに包まれる。

何とも落ち着くその匂いに、しばしうっとり。

洗って干しておくが、離れたところにも匂ってくる。

その度に、猫にマタタビ状態。

鼻にくっつけ、くんくん、デレ~。

香りが移ったパッケージの紙もとっておき、時々くんくん。

ハタから見たら、「危ない人」に見えるに違いない。

紙には、「国産材を使って減らそう!!」と書かれている。

日本の林業は今、大変なことになっている。

安価な輸入木材が増え、競争力が低下。

価格低下から更に後継者不足で、林業の先行きを懸念する声はかなり前から挙がっていたた。

国は全く対策をとらないばかりか、規制緩和など、救済とは真逆な方向に行くばかり。

手入れをせず放置された森は荒れ、生態系や環境が狂い始めている。

先日テレビで取り上げられていた猛毒キノコの急増も、それが原因ではないかという。

「カエンダケ」という赤いキノコは、触れることさえ危険だという。

名の「火炎」のように、ナラの枯れ木の根元からチロチロと顔を出している。

化学兵器に匹敵する猛毒を有しており、他のキノコと間違えて口にしてしまった方が命を落とされる被害が全国に広がっているという。

ある男性は、「2㎝食べたが苦かったので吐き出した。」のに、生死の境をさまよう羽目になってしまった。

辛うじて命は助かったものの、頭髪は白髪に。

被害が全国に広がっている理由として、ある種のキクイムシの増加が考えられるという。

キクイムシに寄生された木は枯死する。

枯れ木が増えれば、それを餌とする菌が増殖する。

原因となるそのキクイムシが増えたのは、「木が使われないから」ではないかと、専門家。

使うために植えられ、伐採される。

を繰り返していた頃は、樹木の中で育つ幼虫が自然に駆除され、増えることが出来なかった。

放置林が増加している今は、彼らにとっては天国なのだろう。

明るいニュースもある。

今月15日の読売新聞に、「よみがえれ林業」として、各地の取り組みが紹介されていた。

それによると、公共事業を当てにできなくなったと見る建設会社や、地元を後押ししようとする金融機関の協力を得て、新事業を展開する例が増えてきているという。

捨てるだけだった樹皮を有効活用し、林業関係者の負担を10億円以上減らせるなど、喜ばしい事例を知り、頼もしい限り。

私も出来るだけ国産を応援しようと、心に決める。

木べらのパッケージの紙に、お手入れの方法がいくつか列挙されていた。

読んでいくと最後に、なんとも心に残る一文が。

「お客様に使って頂くのが、一番のお手入れ方法です。出来るだけたくさん触れて下さい。」

しかと、心得ました。

| | トラックバック (0)
|

It’s  a   sin

裁判員裁判の判決は、あっという間に出る。

裁判員さん達に負担のないようにとの配慮もあるだろう。

が、スピードの陰で、大切なことが見過ごされたりしないのか?

と、心配になる。

今のところ裁判員は、「量刑」の判断にかかわっている。

各裁判が終了し、記者会見での裁判員さんのご様子を見ていると、大きなことに、真摯に向き合ったからこそのストレスがにじみ出ていて、頭が下がる思いだ。

ましてや、有罪か無罪かを判断しなければならない場合、どれほどの重圧かと、他人ごとではいられなくなる。

一番新しい青森での判決は、検察の求刑が丸々認められたかたちで、「おぉ!」と思う。

報道をみていると、日本の裁判制度が、これまでいかに被害者をないがしろにしてきたかが、改めて浮き彫りになるようで、胸が痛む。

情状酌量。

青森の場合、「余地なし」とならないのが不思議だ。

苦しかったり、哀しかったり、不遇だったりしたら、人に迷惑をかけてもいいのか。

被告はこれだけ大変だったのだから、反省もしてるし、罪を減らしましょうって、おかしくはないか。

だって、どう言い繕っても、それは「そちらの事情」で、加害者と面識もなかった被害者には関係ないし、それに対する責任もない。

今回弁護側の求刑が、5年だった。

検察の1/3だ。

ほー。

犯罪を繰り返すのも、いたしかたない事情があった。

それを数字に換算すると、2/3の10年分ってことかー。

10年分の苦労が、何だ。

じゃ、被害者の方達が受けた傷を、どう判断してくれるのか。

「一生出さないで欲しい」

勇気を奮い立たせ、絞り出した「声」を、裁判員さん達はきちんと受け止めた。

法律のプロは、これを数字に換算して15年と出した。

「声」ではなく、「過去の判例」等に照らし合わせて。

求刑の8掛けという通例が出来てしまっているというのも、納得がいかない。

申し訳ないが、判決を軽くし、己の罪悪感も軽くしたいという法律家の保身では、と、勘ぐってしまう。

「悪いことは、悪い!!」

裁判員さん達が、きっちり言ってくれたようで、青森の判決を心強く思う。

専門家に、まかせておけば安心という時代ではない。

心の底から、そう思った。

| | トラックバック (0)
|

期日前投票

に、行ってきた。

家族に予定が入り、投票日当日車がなくなる。

よって、出来るうちにしておこうと、富里市役所へ。

入ってすぐのロビーに、衝立で仕切られた投票所が出来ていた。

いつものように、葉書を持ってすぐに入ろうとすると、数人の人に慌てて止められる。

初めてだったので知らなかったが、書類を書かなければいけないという。

住所、氏名に生年月日。

それに、投票日に行けない理由を選択肢から探し、○をつける。

「仕事」ではない。

当然だが、「足がない」という選択肢はない。

ん~、「旅行」でもないし・・・・。

悩んだ末、「~ねばならない」ことではなく、個人的事情で自由がきく、「旅行」にしておこうと決める。

が、更に踏み込んで、質問される。

行き先が、「市内」か「市外」かだ。

市内の旅行って・・・・。

と、突っ込みたくなるが、とりあえず家の周辺はブラブラするだろうから、「市内」に○をつける。

はっ、でも友人の車で成田のイオンに行ったら、「出ちゃう」よな。

などと、どうでもいいことで悩む。

どうせ誰かが見張っている訳でもないのだから、これでいいやと、提出する。

投票用紙と引き換えの葉書を渡すと、パソコンでチェック。

やっと、投票場へ入ることを許される。

千葉13区は、立候補者が4名。

いつもながらの消去法で選ぶしかないのが、情けない。

あらかじめ意思を決めて来たので、サラサラと鉛筆を走らせる。

が、いつも不意打ちをくうのが、「最高裁裁判官」のバッテン用紙だ。

心は既に、出口に置いてある、ポケットティッシュに向かっていたのに、遮るように差し出されて、焦る。

むむ。

見ても、「最高裁の裁判官って、こんだけしかいないのかぁ。」

「意外に少ないのね。」

という感想しか浮かばない。

あれ?

そういえば、「これはおかしいっ!!」って、納得のいかない判決が出た時、記者さんの質問にもろくに答えず、逃げちゃったのってこの人だっけ?

もやもやとした記憶から、当てずっぽうで×をつける訳に行かず。

いつも通り白紙で出す。

はー、これで、義務を果たしたぞ。

スッキリした。

ご褒美に、近所の梨園で、「幸水」買って帰ろう。

| | トラックバック (0)
|

不名誉なバイオリズム

久しぶりに銀行で、通帳記帳をする。

残高を見て、愕然とする。

あれほどあったお金が、ごっそりと減っている。

が、誰かに不正に引き出されたのでないことは、重々承知している。

全て、自分が播いた種なのだ。

そう、買い物し過ぎである。

記帳された取引を辿ると、カード会社からの引き落としが、ドカンドカンと続いている。

あーあ、またやってしまった。

分かっちゃいるけど、止められないので、困る。

私だけだろうか。

お金遣いの、バイオリズムがあるのは。

あるだけ使ってしまう性分なので、蓄え分は全て天引きにしてもらっている。

天引きを申し込んだらあとはほったらかしなので、今、自分にいくら位の流動資産(見栄)があるのか、あまり知らないし、気にならない。

という訳で、普段口座には、使ってよいお金だけが入っている。

それらは残さず、安心して、使い切る。

が、ボーナスや金融商品の満期などが重なり、思いがけず潤う時が、極たまにだがある。

記帳して、おー!こんなにあるぞっ!と、大興奮。

これが、上り坂バイオリズム。

もともと買い物が、大好きだ。

よって、これに入ると、お財布を開きたくてしょうがなくなるし、自分では歯止めがきかなくなる。

普段は電卓片手にチマチマやっているが、この期間は豹変。

しかし、庶民の哀しさか、宝石や家具などの、高級品や大きいものには行かない。

ちっちゃいものを、どんどん買ってしまうのだ。

例えば、お弁当。

普段は、残りものなどを温め直して昼食にするのだが、この期間はお気に入りのお弁当屋さんでお買い物。

家族がいる時も、どんどんお弁当を買ってくる。

外食にも、気前よく出かける。

あとは、服や、身の回り品。

バーゲンをこまめにチェック。

アウトレットに、週1度位の頻度で足を運ぶ。

通販サイトにも、積極的にアクセス。

クリックしまくりだ。

その他諸々。

それを続けると、臨時収入など、なかった状態にまで戻る。

気づいて、ガビーン!

そして、眠れない数夜を、過ごすことになるのだ。

「またやっちゃったなー。」

「どうして、いつもこうなんだろ。」

一人、悶々とする。

やがてこのままではいかんと、「ポリアンナ」に倣って、「よかった探し」。

「失くした訳でもなし、人に使われてしまったわけでもなし。

全部、自分の好きなことに使えたんだから、いいじゃない。」

「また、貯めればいいんだからさ。」

「うん、そうだよねっ!」

と、数日かけて、自分を納得させる。

単純な私でも、それ位の期間が必要なほど、「お金がない」という現実は、重いのだ。

ここを乗り越えると、元気いっぱい、ケチケチモードにシフト。

とはいえ、ここからは、バイオリズムの下り坂。

底は、グラフの枠を超え、どこまでも深く、見えない。

この時期に入ると、目の毒は全て排除の、ストイック期。

生協の商品案内も、食料品の部分以外は、グッとこらえて処分。

ネットショップからのメルマガも、全て配信停止手続きをとる。

エディーバウアーとも、しばらくお別れだ。

ということで、今電卓が大活躍。

しかし、電池が切れかかっていて、油断すると表示が勝手にフェードアウトしそうになる。

その様子はまるで、いい加減電池を交換してと、訴えているようだ。

が、私も頑張るから、あなたも頑張ってという気持ちで、指に力を込める。

想いが通じるのか、居眠りから覚め、テキパキと動き出す。

交換すればいいだけの話なのだが、なんか、電池が切れたら、「ダメ」の烙印を押されてしまうようで、怖いのだ。

縁起を担ぐため、理不尽に運命共同体にされた、電卓君。

今日も、お尻やお顔に渇を入れられながら、けなげに働いている。

ごめんね。「光」が見えてきたら、満タンに充電した、「エネループ」プレゼントするからね。

| | トラックバック (0)
|

多 重 仁 覚

臓器移植法の改正が、いよいよ現実化されようとしている。

年齢制限の撤廃で、お子さんの移植が国内で認められる見通しだ。

「脳死」が人の死であるか、未だ結論が出ないまま、助かるかもしれない命にのみ、スポットが当てられ続けている。

街頭インタビューを見ていると、自分が脳死になったら、提供してもいい。

が、自分以外の家族の場合は、戸惑うという意見が大方だ。

以前、本屋さんで手に取って衝撃を受けた本を、もう一度読み返す。

黄色いカードが、街中のあちこちで目にされ始めた時期だった。

「持ってはいけない!ドナーカード」

人道的精神に逆行する、強いメッセージに、思わずページをめくる。

そこには、題名を凌駕する、ショッキングな事実がぎっしり詰まっていた。

まず、臓器移植とは、「脳死」を人の死としないと、成り立たない医療行為であることを頭に入れて読むと、怖さが増す。

死後の臓器では、生着率が著しく悪くなるからだ。

「脳死」と判定された人の視床下部から、ホルモンが分泌されていることが発見され、ならば、低レベルながら、意識があることを否定出来ないと、主張する医師がおられる。

それを裏付ける事例として、脳死患者が出産をした例が、複数あるのだ。

分娩は、体内ホルモンの分泌から、全身の機能が複雑に、正確に働くからこそなされるはずだ。

驚くことに、この日本でも、脳死とされた人の出産が、報告されているとのこと。

私がこの本で一番最初に受けた衝撃は、臓器を摘出するために、体にメスを入れた瞬間に、血圧が急上昇し動いたため、慌てて全身麻酔や、筋肉弛緩剤を使ったという部分だ。

大分前に読んだ、梅図かずおさんの作品に、同じようなシーンがあった。

それと重なり、心の底からぞっとした。

その事実を、「法的脳死判定マニュアル」では、「脊髄反射」と片付けてしまっているが、それでは「脳死者の出産」の事実は説明がつくまい。

そもそも、脳死判定の中に、「無呼吸検査」なるものがあり、一定時間人工呼吸器を外すのだ。

その時点で、患者にとっては、致命的なダメージになる。

判定の名の下の、「殺人」といわれても、仕方がない。

医者の売名行為のために、強引になされた不必要な臓器移植での、犠牲者もいる。

また、障害をもった患者さんの治療を勝手に打ち切り、家族が拒否したにも関わらず、無理やりに臓器を取り出した病院もある。

この本を読んで見えてくるのは、移植でしか助からない患者のためと言いつつ、己の実績をあげたい医療関係者達のおぞましさだ。

「提供しない」という意思を明確にしても、病院という密室では、なにが起こるか分からない怖さ。

人体を、「資源」ととらえ、良からぬことを画策する者の出現も、危惧される。

では、移植によって、助かるかもしれない命を、どうすればいいのか。

自分が脳死となり、人工呼吸器で命を長らえるだけとなってしまったら、使えるものは使ってほしい。

とも、思う。

が、脳死状態でも、意識があり、痛みを感じると知った上で臓器などを提供すると、「生を放棄」したこと、すなわち「自殺」になるのだろうか?

スピリチュアルカウンセラーの江原啓之さんのご本にも、臓器移植に関するコメントが出てくるが、いつも言葉少なだ。

「逃げか、逃げでないか」とだけ、書かれてることがほとんどだ。

いつも、何が逃げで、何がそうでないのかが分からないで、読んでいる。

分かりやすく、的確な言葉を駆使して書かれているご本の中では、珍しく曖昧に終わっている。

生と、死。

無縁である人など、一人もいないのに、無意識に避けて通ってしまおうとする。

結論をもし出すとしたら、出来るだけの手を尽くして、「事実」を知ること。

そのうえで、各々が真剣に考え、出すしかない。

だから、答えは一つでは、ない。

| | トラックバック (0)
|

KY

千葉市長選挙の、結果が出た。

仲間が各候補者にお願いした公開質問状に対する回答にも、思いやりにあふれ、真摯な姿勢が現れていた、熊谷俊人氏が当選。

やったね!と、嬉しくなった。

31歳という、全国最年少市長は、早速市長の給与と退職金などの大幅カットの意向を、明言した。

「まず、自ら」という姿勢に共感し、千葉市民ではないが応援したい気持ちになる。

しかしこれは、市井の人々が納得する、当たり前の感覚だ。

が、国を動かしている人たちに、圧倒的に欠けている感覚の一つでもあると思う。

鳩山前総務大臣の更迭を、65%の人が「必要ない」と回答した世論調査の結果が、今朝の読売新聞の一面を飾った。

報道で見る限り、ポッポたんは、庶民感覚をもつ、数少ない政治家の一人だ。

任務を全うしているのを、「死神」呼ばわりれされ、憤慨しているところも、草なぎさんの逮捕騒動の時の切れっぷりも、言葉の選び方はともかく、本音丸出しで好感大だった。

なにより嬉しかったのは、「かんぽの宿」売却問題。

「それはおかしい!」と、断固として譲らなかった。

心から、拍手であった。

裏からあの手この手で引きずられて、国民が納得のいかぬまま、なし崩し的に進められる、変な国策。

今までそれらを、いやというほど見せられてきたので、ポッポたんの駄々っ子振りは、希少な庶民感覚を発揮してくれてて、見てて気持ちよかったのだ。

それを、よりによって、疑惑を晴らさないままの西川氏をそのままにして、ポッポたんを切り捨てるとは・・・。

内閣支持率の急降下は、当然だと思う。

自民党の推す候補者が連敗で、総選挙を前に大いに焦っているはずなのに、まだ気づいていないのだろう。

僕たち、私たち、K・Y軍団!

自民党の足元をすくおうと、やんやの野次攻撃の民主党。

いいところまでいきそうに見えて、後ろから膝カックンで、いつもコケてしまう哀しさ。

中身がないから、逆に足元をすくわれるのだということにも、まだ気づいていない。

あなたも、私も、K・Y党!

このままじゃ選挙の投票までに、書きたい名前がなくて、また困りそうだ。

「いい加減に、目覚めなさい。」

| | トラックバック (0)
|

週刊プリンセス

「エロイカより愛をこめて」を、読み直す。

世界情勢から、各国の思惑。

それに、世界史が加わると、頭がパンクする。

特に、おじさんばかりが登場するシーンが続くと、皆同じに見えてきて、ページを行きつ戻りつして、頭を整理しなければならない。

これ、単行本でまとまっているから何とかなるが、連載だったら絶対に話が頭の中で繋がらないと、改めて思う。

当初連載されていた「プリンセス」は、月刊誌だ。

よって、それなりに厚みがあり、かさばる。

故に、狭い部屋にためておけず、母に容赦なくちり紙交換に出された。

お陰で、先月号までのあらすじをすっかり忘れても読み返せず、いつも「前回までのおはなし」の小さい文字から読んでいたのを、思い出す。

それにしても、作者の青池保子先生は、すごいなぁと、改めて思う。

まず、フィクションとノンフィクションの境目が、私にはほとんど分からない程、リアリティがある。

各国の現状と、国民性。

それぞれが持つ、他国へのイメージ。

そして、裏で密かに繰り広げられる、各機関の諜報活動。

ストーリーを考えるのにも、かなり広範囲の知識と、矛盾が生じないよう辻褄合わせが必要に違いない。

そして更に、キャラ達をどう動かすかが加わるのだから。

大変だろうなぁと、つるりんお脳の私は、いつも感心する。

若い頃と比べると、少佐と伯爵の絡みがマイルドだが、相変わらず面白さ爆発。

女の子たちが、「NATO」を「北大西洋条約機構」と正確に言えるのは、青池先生のお陰だ。

社会のテストで、2点はアップしているに違いない。

ともかく、最新刊の35巻は品切れで、予約受付中。

やっぱり、人気は健在なのだ。

嬉しい。

| | トラックバック (0)
|

打ち上げ花火 線香花火

最重度で警戒されていた、鳥インフルエンザ。

流行の時期が過ぎ、ホッとしていた。

ところを、斜め後ろから蹄で、トントンと肩を叩かれた。

豚インフルエンザの流行は、そんな感じだ。

とりあえず買い置きのマスクは、無駄にならずに済みそうだ。

などと呑気なことを考えていたら、水際作戦をとる前に、すでに国内に入っていた可能性が・・・。

修学旅行に行っただけなのにと、かの高校生さんは当惑しているに違いない。

結局、豚インフルエンザかではなかったそうで、ホッと一息。

ゴールデンウィーク中、「亀の恩返し」に行く予定だ。

この調子で、予定通り行われるのだろうか。

全く思いもかけないところを突かれたと言えば、森田知事の「リニア構想」。

これは、かなり多くの千葉人が同じように感じたのではないかと思う。

前回の知事選で落選後、次回選挙に向けて着々と準備していたと聞く。

それが、「これ」かと、正直がっくりくる。

このご時世だ。

課題が山積し、しかも一つ一つが深刻なのは、この千葉も同じ。

なのに・・・・リニアですとっ?!

なして、リニア?

このお方、誰もが「あっ!!」と驚くド派手なことでないと、やる気が起きないのかもしれぬと思ってしまう。

季節はずれの大きな花火を打ち上げての当選後は、有名人とつるんでばかりで、本業はどうなっているのかと心配していたが、近頃は「完全」問題でおとなしくおなりあそばした。

ちゃんと知事してると、信じたいものだ。

これからの四年間、新知事のお手並み拝見だ。

期待はしていないが、足を引っ張るようなことはしない。

ちゃんと税金納めるから、ちゃんとお仕事してねと、願うばかりだ。

| | トラックバック (0)
|

ゴンベイ's

今度の日曜日は、千葉県知事選の投票日だ。

千葉は、広報誌でのアピール、新聞の折り込みチラシに、電話や葉書の推薦合戦たけなわだ。

富里市役所でトイレに入ったら、トイレットペーパーにまで投票を促す印刷がされており、驚いた。

今回候補者の中に、全国的に顔を知られた方が3人もおられるので、県民の注目度も大きいのではないだろうか。

期待していたのだが、そうでもないらしい。

投票日が何かと忙しい年度末に当たっているし、政治不信の種が尽きないことも、大きく影響しているらしい。

この大変な御時世の千葉の4年間をお任せするのだ。

選挙権のある人は、ご自身の思いを県政に反映できる貴重な機会と自覚して、お持ちの権利を、有効に使ってほしい。

当日都合がつかない方は、期日前投票に。

今回、前回の同じ時期よりも、多くの人がすでに投票に来ているという。

投票したい人が、いない。

もこのところ、そう感じることが多い。

なるべく各候補者の人となりが分かるような情報を入手し、比較検討しようと思うのだが、新聞は、簡素過ぎるし、街頭演説は地方では滅多にない。

政見放送は、見損なうこともあるし、全体の雰囲気やお顔の印象などに気を取られて、大事な部分を聞き洩らすこともある。

よってじっくり読めることもあり、どうしても各候補が作成したビラを参考にすることが多い。

最近、最後まで読んで、とうとう本人の名前が書かれていないビラがあり、黙りこむ。

千葉に、女性知事を!に、

元気、もりもり!

、2枚ある。

これじゃ、誰かわからない。とは、言わない。

立候補者に、女性は一人だし、「俳優」で、「もり」ときたら、あのお方しかいない。

そうそう、書かなくても、分かるよね!」っていうのは、ムッとするが、許容範囲だ。

、書かれていることは、これで支持を増やそうとしているとは思えない内容だ。

女性の方は、裏も表も、数名の有名人の顔写真入りの推薦文に大半を割いている。

それも、各々イメージ的な褒め言葉だけで、具体性がない。

えば、「彼女なら、やってくれる」「やる人だ」など。

彼女が千葉で何をしたいのかが、全く伝わってこない。

著名人でびっしり固めたのは、「中身」がないからではないか。

そう勘ぐってしまう。

知事選でも、「げんきもりもり」で臨んだが、破れた方は、比較法だ。

政党の支持の「ある」「なし」を並べて、比べている。

まかにいってしまうと、政党支持があると、その「しがらみ」で、ブレてしまうというような結論づけをしている。

ー。と、溜息。

世間に顔を知られているのは、それだけで大きなリードだ。

プラス、政策で人心を掴めば、敵なしではないか。

の威を借りたり、ライバルの足を引っ張るることに腐心しているなど、何ともったいないことか。

千葉をどうしたいか」をはっきり示して、真正面から勝負して欲しい。

| | トラックバック (1)
|