心と体

締め切り効果

NHKの番組で、ウィルス性肺炎の恐ろしさを、知る。

新型インフルエンザがきっかけで発症し、症状が急激に進む。

前日まで、いや、数時間前まで元気だった人が、急にぐったりする。

通常の肺炎と違って、抗生物質が効かないので、診断を間違えると、手遅れになることもあるという。

前日のレントゲンの結果が嘘のように、翌日肺が炎症で真っ白に写ったフィルムを見せられ、愕然とする。

ウィルス性肺炎の場合は、一刻も早くタミフルを投与しなければならないらしい。

今日の読売新聞には、診察にきたお子さんが、30分の間に症状が急変し、大きな病院に転院してことなきを得たという記事も載っていた。

従来のインフルエンザでは「脳症」を重視していたが、新型では「肺炎」の兆候を見つけることに、細心の注意を払う必要があると結ばれていた。

「豚インフルエンザは、毒性が低い。」

そう言われ、国内で持病のない方が亡くなった例がなかった頃は、のんきに構えていた。

大分前のことだが、大人になってからなると重症化するので、子供のうちにかかった方が良いとして、はしかなどになった子の家に、「もらいにいく」ということが珍しくなかった。

その感覚で、「軽いならこの機会に、免疫獲得しておいた方がいいかも。」などと考えていたが、その番組を見て180度考えが変わった。

確率は極低いが、命にかかわることがある。

そうなら、かからないことが重要だ!

と、しまいこんだマスクを引っ張り出したり、家族にやんやと、うがい手洗いをせっついたり。

そうしていたある日、体調の変化に気づく。

あれ・・・、のどが痛い。

・・・頭も、痛む。

し、気管の辺りが、ジンジンする・・・・。

もしや・・・・・。

ひょっとして・・・・A型・・・。

心なしか、少し寒気もする。

測ってみると、平熱だった。

こりゃ、熱が出たら覚悟しなきゃな。

一人、こっそり腹をくくる。

寝込んだり、入院したりする前に、出来るだけのことをやっとかなくちゃ。

掃除、掃除。

冷蔵庫の中も整理して・・・。

「もったいない」と処分を棚上げしていたものも、この際思い切って手放そう。

はー、スッキリ。

これで、心おきなく寝込めるぞ。

少しでも軽くするため、免疫力も上げておかなくちゃ。

ショウガ紅茶を、がぶ飲みする。

ちょっとでも汗をかいたら、すぐに着替えてと。

今日は早く寝よう。

首と鼻にメンソレータムをべったり塗って、ネックウォーマーとマスクをして、布団に入る。

翌日。

昨日の体調が嘘のように、体が軽い。

あれれ?

ただの風邪の引き始めだったのかな?

おぉ!昨日頑張っただけあって、むしろいつもよりも部屋が綺麗だし!

時間は有限。

そう思うのって、大事だな。

ということが、身に染みた、早とちりだった。

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多 重 仁 覚

臓器移植法の改正が、いよいよ現実化されようとしている。

年齢制限の撤廃で、お子さんの移植が国内で認められる見通しだ。

「脳死」が人の死であるか、未だ結論が出ないまま、助かるかもしれない命にのみ、スポットが当てられ続けている。

街頭インタビューを見ていると、自分が脳死になったら、提供してもいい。

が、自分以外の家族の場合は、戸惑うという意見が大方だ。

以前、本屋さんで手に取って衝撃を受けた本を、もう一度読み返す。

黄色いカードが、街中のあちこちで目にされ始めた時期だった。

「持ってはいけない!ドナーカード」

人道的精神に逆行する、強いメッセージに、思わずページをめくる。

そこには、題名を凌駕する、ショッキングな事実がぎっしり詰まっていた。

まず、臓器移植とは、「脳死」を人の死としないと、成り立たない医療行為であることを頭に入れて読むと、怖さが増す。

死後の臓器では、生着率が著しく悪くなるからだ。

「脳死」と判定された人の視床下部から、ホルモンが分泌されていることが発見され、ならば、低レベルながら、意識があることを否定出来ないと、主張する医師がおられる。

それを裏付ける事例として、脳死患者が出産をした例が、複数あるのだ。

分娩は、体内ホルモンの分泌から、全身の機能が複雑に、正確に働くからこそなされるはずだ。

驚くことに、この日本でも、脳死とされた人の出産が、報告されているとのこと。

私がこの本で一番最初に受けた衝撃は、臓器を摘出するために、体にメスを入れた瞬間に、血圧が急上昇し動いたため、慌てて全身麻酔や、筋肉弛緩剤を使ったという部分だ。

大分前に読んだ、梅図かずおさんの作品に、同じようなシーンがあった。

それと重なり、心の底からぞっとした。

その事実を、「法的脳死判定マニュアル」では、「脊髄反射」と片付けてしまっているが、それでは「脳死者の出産」の事実は説明がつくまい。

そもそも、脳死判定の中に、「無呼吸検査」なるものがあり、一定時間人工呼吸器を外すのだ。

その時点で、患者にとっては、致命的なダメージになる。

判定の名の下の、「殺人」といわれても、仕方がない。

医者の売名行為のために、強引になされた不必要な臓器移植での、犠牲者もいる。

また、障害をもった患者さんの治療を勝手に打ち切り、家族が拒否したにも関わらず、無理やりに臓器を取り出した病院もある。

この本を読んで見えてくるのは、移植でしか助からない患者のためと言いつつ、己の実績をあげたい医療関係者達のおぞましさだ。

「提供しない」という意思を明確にしても、病院という密室では、なにが起こるか分からない怖さ。

人体を、「資源」ととらえ、良からぬことを画策する者の出現も、危惧される。

では、移植によって、助かるかもしれない命を、どうすればいいのか。

自分が脳死となり、人工呼吸器で命を長らえるだけとなってしまったら、使えるものは使ってほしい。

とも、思う。

が、脳死状態でも、意識があり、痛みを感じると知った上で臓器などを提供すると、「生を放棄」したこと、すなわち「自殺」になるのだろうか?

スピリチュアルカウンセラーの江原啓之さんのご本にも、臓器移植に関するコメントが出てくるが、いつも言葉少なだ。

「逃げか、逃げでないか」とだけ、書かれてることがほとんどだ。

いつも、何が逃げで、何がそうでないのかが分からないで、読んでいる。

分かりやすく、的確な言葉を駆使して書かれているご本の中では、珍しく曖昧に終わっている。

生と、死。

無縁である人など、一人もいないのに、無意識に避けて通ってしまおうとする。

結論をもし出すとしたら、出来るだけの手を尽くして、「事実」を知ること。

そのうえで、各々が真剣に考え、出すしかない。

だから、答えは一つでは、ない。

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あるけど みえない

ほんとにあった怖い話。

唯一購読している雑誌だ。

奇数月の下旬に発売されるので、今月は楽しみにしている。

中でも楽しみなのは、「能力者」がご登場するシリーズだ。

最初は、「隣の霊感少女」だったのが、能力を磨き、困っている方々をお救いするところにまでなっている方もおられる。

毎号、読者からの投稿を漫画化したものも数編あるが、「あれは、何だんだろう?」だけで終わってしまうか、こじつけで締められてしまうものが大多数を占める。

しかも、パターン化していて、どっかで読んだような気がして、新鮮味がない。

それとは対照的に、霊能力で相談事を解決したり、疑問を解消できる方が登場するお話は、読んでいて考えさせられる教訓が含まれており、単に「怖い話」では終わらないのがいい。

他にも、「ヒプノセラピー」という手法で、相談者の心の問題や体調不良を改善するシリーズも、興味深い。

ヒプノとは、催眠のことで、相談者の潜在意識から問題の根本を見つけ出し、解決に導く。

前世がらみのことが多い。

とても他人事とは思えない悩みも取り上げられ、気持ちを切り替えるきっかけを得ることもある作品だ。

「ほん怖」は表紙が、ときにはおどろおどろしい。

よって、ただの怖いもの見たさを満たす軽い内容と取られがちかもしれないのが、残念でもったいない。

自分の要求を聞き入れてもらい、満足して成仏する。

それは、生きている私たちも日々経験していることだ。

理解や共感を得られて、心にずっとあったしこりが、とけるなどと同じではないか。

死しても、人は人で、肉体の有無の違いだけだということが、能力者を通して伝えられる「事情」を知り、実感できるのだ。

能力者さんたちが、聖人君子でなく、普通のお姉さんなところも、いい。

六法全書に則り、しゃくし定規的な判決が出て、納得がいかない裁判にモヤモヤする。

が、次の日、ワイドショーで「それはないだろう!」と人情剥きだしで、反発するコメンテーター。

裁判官を、聖人君子とは言わないが、「ほん怖」の霊能お姉さん達は、完全に後者だ。

悪いものは悪い!と、ビシッとお仕置きしてくれる、必殺仕置人なのである。

読後、「あー、スッキリしたー!」ということ、しばしばだ。

ほとんどの人が感知するだけの、「みえない世界」が、日々の生活にどのようにかかわっているかが分かって面白い、「ほん怖」。

一度、お手にとって見ては。

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一人前で知ったこと

家族のメタボディを改善すべく努力するが、明るい兆しが、全く見えてこない。

早食いは肥満の元。

家族は、御多分にもれず、超がつく早食いだ。

外食すると、家族の注文したものが遅く運ばれてきても、こちらが半分も進まぬうちに、食べ終わる。

必死に追いつこうと焦る。

待たせている後ろめたさをごまかすために、「食べる?」と、つい聞いてしまう。

この問いに、「NO」と答えたことは、今まで一度もない。

そうか。これもメタボへの元凶だったのだと、遅まきながら気づき、反省する。

家で大皿に盛ったおかずを一応は遠慮がちにつつくメタボディだが、食べるのが早いだけに、自然と食べ過ぎてしまっているに違いない。

以降、大変面倒なのだが、おかずを一人づつ盛り付けるようにした。

そうすれば、極端な食べ過ぎを防げるし、続けるうちに「適量」を体が覚えると思ったのだ。

面倒だが、いいこともある。

まず、眠っていた食器の出番が来て、食卓に彩りが増えた。

食器好きで買い集めるが、しまい込んで忘れてしまうパターン。

箱に入ったまま奥に押し込んであったものを引っ張り出して、在庫確認した。

すると、あるある。

おー。我ながら、いいセンスしてるじゃん。

と、自画自賛しながら、新鮮な気持ちで食卓に並べる。

家族全員別盛りにすると、食器でテーブルいっぱいになる。

なんか、旅館の夕食みたいで、見ただけで少しお腹がふくれる気がする。

なんて思うのは、私だけか。

「御馳走さまー」と、誰よりも早く声をあげるメタボディが、まだ物足りないのか、お菓子の入っている籠を、ガサゴソとあさっている。

ふー。もっと強制力のある方法でないとだめか。

買い置かないことが一番だが、それでは他の家族の楽しみも奪うことになる。

そこでちとかわいそうだが、お菓子の中でも高カロリーのものは隠しておき、メタボディが好きな時、好きなだけ食べれないようにしている。

一人分盛りで、更に思いもかけない事実が判明した。

自分が、野菜をほとんど食べていないという事実だ。

均等に盛ると、どうしても私には多い。

メインのお肉やお魚も、「あとは、食べて」と、ほとんどを食べざかりの家族に分ける。

そして、野菜の一品も食べ切る前にお腹がいっぱいになり、「あげる」と押しつける。

野菜を先に食べればいいのだが、「パン、おかず、スープ、と順番に食べるんですよ。」という、小学一年生の給食時に言われたことがしみついて、一点食いがどうしても出来ない。

プチベジタリアンを自認していたのに、肝心の「ベジ」を食べていなかったとは。

ショックだった。

これでは、いかんと、以来意識して野菜を食べるようにしている。

一人の食事などは、あるものを適当に食べていたが、そういうときでも、きちんと野菜スープなどを作るなど、必ず野菜を料理するよう心がけている。

野菜でお腹いっぱいにすると、おやつがあまり欲しくなくなるというメリットもあると気づく。

お陰で、体重が元に戻りつつある。

自分のことって、分かってるようで分かってない。

いい大人なのに、食欲をコントロールできなかったり、体に良くないことしてたり。

まだまだ半人前だ。

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おつきあいの果て

ってしまった。

しぶりに体重計に乗ってみたら、4kgも・・・。

しかも、十の位が変わったので、ダメージは大きい。

ウエストはきつくないのに、4kgは、一体何処に?

、見回す。

いたいた。

下腹にしっかり、背中は広範囲に。

むむ、ここにつくと、落ちにくいんだよな。

ところ、体重増加の原因は、明らかだ。

家族が資格試験の猛勉強中、せめて、食べる楽しみで応援しようと、お好みメニューを連発したからだ。

お肉たっぷり、揚げものどっさり。

そして、もう一つの原因もある。

との、お茶だ。

は、何でもどっさりが好きだ。

家族構成が減っても、いつものように鍋いっぱいに、料理する。

お茶菓子も、必ず食べきれないほど積み上げる。

さな頃「おしん」のように育ったので、いつもお腹を空かせていた。

その頃の空腹を今癒し、私にはその苦労をさせまいと、「あれも食べろ、これも残すな」と勧める。

お陰で幼稚園から「肥満児」として育ち、青春時代はコンプレックスの塊で過ごした。

は戻るが、

が怪我をして、仕事を休んだ数か月と、我が家の「お好みメニュー」の時期とが重なった。

の怪我を見舞うために毎日顔を出し、お茶を御馳走になりながら、お菓子をつまむ。

に帰れば、家族のお腹を満足させるボリュームの食事を用意し、一緒に食べる。

この2本立てで、太らない方がおかしい。

2kgぐらいなら、普段の増減範囲で、うろたえることはない。

しかし、その倍を減らすとなると、プレッシャーだ。

り難いことに母の怪我も全壊し、家族の試験も終わり、とりあえず、食生活を元に戻すことから始めた。

えて、「プチ断食ダイエット」を再開した。

のニンジンジュースに、ショウガ紅茶。

食事の全体量を少しづつ減らし、とりあえず1kgとさよならした。

薄着になる季節までには、元に戻りたいと、今日もセッセとショウガをする。

プチ断食」のニンジンジュースには、りんご1個と人参2本を使う。

、今りんごがないので、人参だけで作る。

しぼりかすがもったいなくて、やめていたので、それをどうするかで悩む。

ところが、りんごを使わないと、いろいろな可能性があることに気付く。

りんごと人参の搾りかすだと、混ぜられるのは、カレーぐらいしか思いつかないが、人参のみだと、いろいろに使える。

とりあえず冷凍しておき、パキパキ折って好きな量を使う。

いつも作るのは、キャロットピラフ。

バターを使って生米を炒める工程を省き、炊飯器に搾りかすと他の具や調味料を混ぜて、普通に炊くだけなので、簡単だし、あっさりしている。

ハヤシライスにも入れてみた。

も気づかず、大好評。

出来あいの「素」を使ったのだが、しぼりかすを入れた分味が薄まってしまう。

それを、ケチャップと、ウスターソースで補うと、味がはっきりして、こってり好みも満足の味になり、大成功だった。

スープにしてもいいだろうし、もっと濃くポタージュというのもイケそうだ。

ケーキに焼きこんだりしてもいいし、他にも使い道が見つかりそうな気がする。

わー、嬉しいな!と、ケチ心が浮き立つ。

ダイエットが、体だけでなく、日々の献立にも貢献するなんて、一石二鳥だ。

以前は、ニンジンジュースを飲んだ後寒気がしたが、ちょっと塩を振っているからか、大丈夫だ。

塩気が、人参の甘みを引きたて、美味しくなるというおまけもある。

ところがこの頃、ジューサーの調子が思わしくない。

ガガガガァ・・・と、急に音が大きくなったり、プラスチックが焼けた臭いがしてくることもある。

えば、高校の時アルバイトして買ったものだ。

っておかれたかと思うと、急に毎日働かされる。

つきあってらんないよ。

、言われているような気がしてしょうがない。

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耳にいたし 心にやまし

もう、ご勘弁ください。

先程から数時間、叱られっぱなしだ。

かなりニブチンの私でも、これは、堪える。

江原啓之さんの、「ニッポンを視る!『怒り』の時代を生きぬく方法」を、読んでいるのだ。

ニッポンを視る!――「怒り」の時代を生きぬく方法 Book ニッポンを視る!――「怒り」の時代を生きぬく方法

著者:江原 啓之
販売元:講談社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

昨年から週刊現代で連載されたものに、緊急提言を加えて一冊にまとめたご本。

の流れに沿って、3章で構成されており、どれも最近起きている事件や事象を取り上げているだけに、身につまされる。

2009年は「怒り」の年、と霊視したことが、正に具現化していることへの危機感が伝わってきて、どれも人事では済まされないのだと、思わざるを得ない。

年末にマスコミが発表する、「今年の10大ニュース」。

の子供の頃なら、数年に一度あるかないかの大事件が、この頃は数珠繋がりに起きており、とても10に絞れないと感じる程だ。

これは、「大ニュース」に事欠かないマスコミだけが、喜んでいるのではないかと思われる、異常事態だろう。

これらを、一つ一つ取り上げ、スピリチュアルの視点から読み解き、「じゃ、どうしたらいいのか」を丁寧にアドバイス、提言してくれる、心の拠り所本になっている。

なのに、日頃から気の向くままに生活している私にとっては、「お小言」に感じられる。

しかも、各項ごとに相応しい四文字熟語をあげておられるのだが、初めて目にするものが続出で、余計に打ちのめされる。

っていても、読みが間違っていたり、意味を取り違えて覚えていたりで、散々だ。

えば、「不買美田」。

ふばいびでん」と、読みは素直で大丈夫。

、意味は、全く分からなかった。

美田」とは、収穫のよい、田のこと。

や孫に苦労をさせまいとせず、あえて財産を残さないことが、全体の意味だという。

この項では、親子が互いに依存し過ぎだと、戒めておられる。

親子であっても、別々の人間である以上、それぞれが自立して生きていかなければならない、と。

はい。本当にその通りです。

えば、家族に知らず知らず甘えてる部分が多い。

多少なら、相手のやり甲斐位になるかもしれないが、全体重をかけられたら、どれだけ「重い」か・・・・。

今日中に読もう。」と思っていたが、反省の時間が多すぎて、なかなか進まない。

ちょっと、休憩。

思ったら、学校を休ませて、レジャーに連れていくのが、この頃は学校も容認?というニュースが。

ませる理由として、ツアー代金が、平日だと安いから。とか、

家族が平日しか休みを取れないから。など。

学校休ませて、ディズニーランドかー。

学校側も、保護者の意向だから仕方がないと、表立っては反対しないという。

後々親と揉めたくないというのは、分からなくもないが、明らかにおかしな対応だ。

しかし、もっとおかしいのは、お家の人の意識だろう。

義務教育」の「義務」は、教育を受けさせる義務だ。

それは、国が国民に、親が子にという意味で、この頃は、義務教育を「国から受けられるサービス」、と勘違いしている親が多いのではないか。

子供は、国の宝でもある。

が、自分の子供とはいえ、教育を受ける機会を奪うことは、義務違反なのだ。

そして、毅然とした態度で臨まない学校側も。

は、大人の鏡」

まず、大人から変わらなければならない」

、江原さんはいつもおっしゃっている。

多くの問題が、ここに集約される。

私達」が、変わらなければならないのだ。

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シェルター

富里の梅の花が咲きだした。

富里中央公園の梅の木は満開だと、散歩に訪れた母が言っていた。

成田山新勝寺でも、梅まつりが開催されるし、春の足跡がそこここに見え始めている。

しいな。

、単純に喜べないのが、花粉症の人々。

もしっかり入っている。

いと、1月から感知し始めるのだが、今年はまだ来ていない。

もしや、完治?」と内心喜んでいたら、来週から本格的に飛び始めるとの報道にがっかりだ。

えば、ここ富里で、ある風の強い日。

を開け、気持ちよく外を眺めていたら、急にくしゃみが止まらなくなった。

てが、そこから始まったのだ。

お花見の楽しみも、春の庭仕事の気持ちいい汗も、味わえなくなった。

花粉探知機と化した体が、恨めしい。

を飲むと眠気がして、車を運転しなければならない身としてはそれも出来ず。

ひたすら我慢して早○○年。

二桁ということは、10年以上ということだ。

花粉症でない方には、たかが「くしゃみ」「鼻水」「目のかゆみ」ぐらいと、思われよう。

一つ一つは「たかが」なのだが、連続パンチになると、精神にも大きなダメージを与える。

まずイライラして、落ち着いた思考ができなくなる。

よって、物事を丁寧にやる余裕がなくなり、様々なことが投げやりになるのだ。

というのは、日本では「変化」の季節だ。

学校では、新入生や、進級によるクラス替え。

職場では、人事異動や新人さんの入社。

年度の始まりは、社会全体にとって気持ちも新たに出発する時期だ。

しかし、花粉症の人々はその時期、変化に対応する能力も削がれている。

もし身近におられたら、その点、お考えに入れてあげて欲しいと思う。

さて、黙ってやられっぱなしでいるのもしゃくなので、いろいろと抵抗を試みる。

まず、最初のうちは、「気持ちではねのけよう!」などと考えていた。

、見事に返り討ちにあう。

とりあえず、洗濯もの、布団は、物足りないかもしれないが、内干しが大原則だ。

よって、花粉がたくさん飛んでいる時期に、よそのお宅でお布団やお洗濯ものが外で風に吹かれているのを見ると、「いいなぁ、花粉症じゃなくて」と羨ましくなる。

、ここを我慢すれば、大分楽になる。

そして、空気清浄器に活躍してもらうと、お家の中がさらに安全地帯になる。

数年前から、マクロビオティックなどを参考に、食生活全体を変えたのが功を奏したのか、症状が年々軽くなってきている。

この時期、辛い時はお薬に頼らざるを得ないだろうが、体に入る花粉の量を減らしつつ、日々の生活を振り返ってみてはどうか。

アレルギーは、体からのSOSといわれる。

普段、体に負担をかける習慣、例えば寝不足などはしていないか。

身体は、食べたものから作られている。

なら、入れるものを選び間違えてはいないか?

などをチェックしてみることをお勧めしたい。

以下、参考になさったらどうかと思ううちの1冊だ。

この食品だったらお金を出したい!―狂牛病と台所革命〈2〉 (狂牛病と台所革命 (2)) Book この食品だったらお金を出したい!―狂牛病と台所革命〈2〉 (狂牛病と台所革命 (2))

著者:船瀬 俊介
販売元:三五館
Amazon.co.jpで詳細を確認する

あまり出歩けないのならば、家でじっくり読書もいいものだ。

とりあえず、来週からの花粉飛来に備えて、布団干しや洗濯、庭仕事にダッシュ。

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マ ス ク

は語っている。

は見かけによらない。と思うこともあるが、大筋は見かけ通りだ。

どう見ても、その筋のお方にしか見えない人がいる。

その強面に一歩引き、遠巻きにしている。

ひょんなことからその人が見せた笑顔が、幼子のように純粋だった。

そんな意外な一面を、その人の本性を垣間見たかのように思いがちだ。

しかし、それも本性なら、人を威嚇する部分もその人だ。

は、いろいろな面をもっている。

それは、どう隠しても顔に出てしまうようだ。

それを頭に置いて、テレビを見る。

麻生さんに日本の顔でいて欲しくないと思い、それでは誰に?と考える。

小沢さん。

し訳ないが、笑っていても怖い。

むむ。この方なら、という人材が浮かばない。

それ自体、すごく怖いことだ。

美醜をどうこう言っているのではない。

誠実な人柄を感じさせる物腰、強い使命感を帯びた声、弱者に向ける優しい眼差し。

もった人が、「大物」の中に一人もいないのだ。

それらを持っているのは、例外なく当選したての新人さんばかりだ。

国会の中継を最後まで見る気になれない。

ヤジや、怒声で、発言がかき消され、議論になっていないからだ。

の話をちゃんと聞くことも出来ぬ人間が、日本を動かしているのかと、情けなくなる。

いていた瞳は欲で濁り、相手をやり込めるために、針のような言葉を飛ばす。

生徒会の方が、ずっと建設的な話し合いをしていると思う。

お役人が、とりあえず形を作ってくれるから、自分達が感情のぶつけあいをしているだけでも、手続きは進んでいくからと、安心して喧嘩しているのだろう。

トップを直接国民が選べたらと、何度思ってきたか知れない。

ところで、人の顔のことを言えるのか?と、己を振り返る。

ー。自分のことって分かりにくい。

とりあえず、スマイル0円だ。

どんどん笑いましょうと、目じりを下げる日々。

っていると、なんだか楽しくなってくる。

自分のことを単純だなーと思っていたら、ある本で、万人に共通することだと知った。

」は騙されやすいというのだ。

無理してでも、明るく振る舞っていると、脳は「楽しいんだ」と認識し、本当に気持ちが軽くなるのだという。

ー。そういうものなの?

専門家の先生が、「脳は頭がい骨の中に閉じ込められているから、外のことは全く分からない。」とおっしゃる。

そう言えばそうね。

身体を動かし、刺激を受け、五感を通して外の情報を得ている。」

ふむふむ。

もしないと、暗い映画館に閉じ込めておくようなもの。」という言葉に、考えてみればその通りと、頷ける。

さんは、外からの刺激を待ちわびているのだろう。

だから、辛くても笑っていると、体が表現した嘘の「笑み」を大喜びで受け取り、「本当に楽しい」となってしまうらしいのだ。

ほほー。脳って、複雑で敏感だと思ってたけど、結構単純なのね。と、妙な親しみが湧く。

には、この仕組みなどを利用して、自分が習慣づけたい例えば「勉強」などを、3日坊主で終わらないようにすることができると書かれている。

もっと早くに、このことを知っていたら、自分や家族を調教出来たのにと、悔やまれる。

しかし冒頭の話に戻ると、これでは、内面が顔に滲み出るっていうのと、逆になってしまう。

れれ?

ご参考までに。

のうだま―やる気の秘密 のうだま―やる気の秘密

著者:上大岡 トメ,池谷 裕二
販売元:幻冬舎
Amazon.co.jpで詳細を確認する

マンガで書かれているので、難しくなく、お子さんでも理解できる内容になっている。

その分大人には物足りないかもしれないが。

自分の顔に責任を持つことは難しいが、脳ちゃんに寂しい思いをさせないことは、出来そうだ。

人様よりシワの少ない脳ちゃんを、おだてつつ、だまし続けるのは、簡単だと思う。

しかし、脳天気に益々磨きがかかりそうで、ちとこわい。

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冬のオアシス

まれて初めてポインセチアを部屋に連れて来た。

この時期ホームセンターに行くと、すごい数の鉢がぎっしり並んでいて、圧巻だ。

いグリーンの葉に、真っ赤な苞のおなじみの品種から、赤ではなく、ピンク、クリーム、果ては真っ青なものまであり、驚く。

の形が縮れているものや、二段仕立てのものもありと、一つに絞るのが大変な程だ。

ポインセチアの魅力の一つは、そのお値段だ。

こんもりと繁り、かなりなボリュームがあるのに、数百円しかしない。

に赤は、色目の少なくなったこの季節の景色を補うように、生き生きとした気を放ち、目にすると元気をもらえる。

いに迷い私が選んだのは、赤の苞にクリームの斑が入った「アイスパンチ」という品種だ。

もう少し様子を見て、我が家で元気にしているようなら、また一鉢連れてこようと思っている。

や金銀の粉を振りかけた鉢もあったので、ツリーを飾らない我が家にクリスマスのわくわくを演出してもらうのだ。

ところで、今までポインセチアに背を向けてきたのは、よく聞く、育てにくさ故だ。

知人が何鉢か育てているのを見たが、時期が来てもグリーンのままだ。

一定時間の暗闇が必要らしいが、面倒ではないか。

時間になって、ダンボールをかぶせるなど、絶対に忘れる。

てもらった以上は、その植物の持つ特性を発揮してほしいという前提があるので、ポインセチアはあきらめていたのだ。

スピリチュアルカウンセラーの江原啓之さんは、室内に植物の鉢を飾ることを推奨している。

草花は、無償の愛で部屋の主を癒すという。

自分のもつエナジーのありったけを与え続けて、やがて枯れていく。

なんといじらしく、清らかなのかと感動する。

それを知ってから、枯れることを恐れず厭わず、命あるものに側にいてもらおうと思うようになった。

なんと、NASAの研究では、どんな空気清浄装置よりも、一鉢の土の方が優れているという。

れり尽くせりではないか。有り難いことだ。

空気がこもりがちになるこの季節、好みの一鉢を身近に置いてはどうか。

フェアリーが見える人がときどきいるというが、見えずとも、きっとあなたを暖かく包んでくれるに違いない。

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美味の素

味、辛味、酸味、塩味、苦味の五味の後に、うま味が発見されたと習ったが、「umami」が世界に通用するとは、今朝の読売新聞で初めて知った。

現在うま味は、数種発見されているらしいが、代表的な3種は、全て日本人により発見されているそうだ。

さすが繊細な感性を持つ民族だと、日本人であることが嬉しくなる。

昆布のうま味を発見したきっかけは、博士の奥さまが作った湯豆腐だったと聞いたことがある。

ビバ家庭料理!

もうひとつ驚いたのは、記事の見出しだ。「内臓も感じる『うま味』」となっている。

たちは、舌だけでなく、体でも「味わって」いるらしい。

うま味の受容体が、胃にも存在するのが発見されたとのこと。

で感知されたうま味情報が脳に伝えられ、胃液の分泌からはじまり、他の消化器官も働きだすという。

ほー。

これは、うま味だけでなく、体に入った食物全てに対応しているのではないかと、私は思う。

美味しくて、いいものを食べたとき、からだが喜ぶというではないか。

マクロビオティックを実践していた時、レシピに忠実に調理したきんぴらごぼうと玄米ごはんが、感動的に美味しかった。

あれ程の感動は、その後どんな御馳走を食べても味わうことが出来なかった。

はまる人がいるのが、頷ける。

玄米を食べると、何もかもいい方向にいくように書いてある本も多いが、実は残念ながら私自身は玄米が合わないようだ。

食後お腹がもたれる。玄米を食べるようになってからは、白米も同じだ。

は間をとって、5分搗き米を食べている。自分達にはベストな気がする。

日本人の楽しみ、新米の時期真っただ中だ。

先日友人が作った新米をもらって、食べた。

この時期だけは、新米の美味しさを味わうために、白米で食べることにしている。

今年のお米も、すんごく美味しい!

身体も心も大喜びだ。

またもや中国と日本の欲が合わさった騒ぎが起こっている。

どこまで底なしなのだろうか。

国産」の表示も、偽装することは難しくない。

ある会社で働いていた人の話である。

輸入した白子を計量し、パックに詰める。

仕上げに「国産」のシールを貼って出荷していたという。

シール1枚で、安心安全の「国産」の出来上がりだ。

そもそも、輸入した原料を、国内で加工なり、詰め替えなりをすれば、「国産」と表示できる仕組みがおかしい。

は、品目によっては原産国表示を義務付ける方向になっているが、まだまだ検査体制も、あまい。

これは、国内の生産者をないがしろにしてきたツケだろう。

大臣様に「うるさい」と嫌がられてもかまうものか。

い」という魔力に、ちょっと抵抗してみよう。

食品の出所を、しっかり見つめる気持ちを持とう。

消費者をなめたら怖いと、不届き者達に知らしめよう。

強烈なうま味(化学調味料)に慣らされた体には、本当にいいものは最初物足りなく感じるだろう。

だが、体が喜ぶ感覚を味わえるようになったら、おかしなものにちゃんと反応して教えてくれる。

たちは、本当の美味をみつけられる、日本人なのだから。

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