心と体

巨乳の人のウエストがくびれている訳

今回引いた風邪で

図らずも自分の体で人体実験することになった。

以前から実感していたことが、

それと逆のことをしたことで、実証された感じだ。

結論からいえば、

「食べない方が早く治る」

ということ。

完治とは言えない状況が続いて

一週間程に長引いているこの風邪。

途中(も、もしやマイコプラズマ?!)

などと心配したこともあったが、

このところ急速に回復してきているので、

そうではなさそうだ。

ただの風邪にしては長引いてしまったのには、

思い当たることがある。

それは、胃腸への負担だ。

普段体調が悪い時

特に悪寒がする時は「断食」するのだが、

今回家族の予定などに合わせ、

自分も一緒に食べてしまうことが2度。

その度に、

症状がぶり返してしまった。

結果、こんなに長引いたのだ。

しかし、体脂肪率数%の家族から、反対の声が上がる。

「人によるんじゃないの?」

そして人の「振袖」をプルプルさせる。

「え~え~、どうせ20%代ですよっ!」

とはいえ、

10数%の家族も断食でスッキリ直った実績がある。

「だから次は、キンキキッズ並のあなたの体で試そうよ!」

「断るっ!」

そして、新たに芽生えた仮説も書かせて頂こう。

それは

「ノーブラが代謝を上げる」

だ。

体調が崩れているのに、

外食したり

こってりしたものを食べてしまった。

ところが何故か体重計の数字は下がり続け、

とうとう最軽量記録更新!

普段なら嬉しいはずなのに、

「ひぇ~~!な、何か重大な病気が隠れてるの?!」

と、本気で心配したほどだ。

しかし症状が軽くなり、

ブラをつける余裕ができたら、あっという間に、

戻ってしまった。

(プチサイズながら、重力がかかって落下しようとするムネを

落とすまいと頑張る体・・・・・

重力に逆らう分、カロリーを消費するのでは?!)

と、密かに仮説を立てたのだが、

……さて、どうなんでしょうかね?


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の む な ら の る な

お正月太りが、未だ身に付いたままだ。

気付いたら、「あれれ?」

もう、一ヶ月半も落ちないままではないか。

(この辺りでリセットしないと、危ない・・・・。)

と、さすがに焦り始める。

お正月太りとはいえ、下地はクリスマス頃から作られ始める。

家族全員が甘党なので、クリスマスには毎年ホールケーキを2つ買ってペロリ。

フライドチキンを、モシャモシャ。

ワインとチーズを、お代わり!

そうして、ボーナスでちょっ潤った食生活が続き、大晦日のすき焼きパーティーで年を越す。

元旦は親戚宅でお寿司と、おせち。

帰宅したら、母(の餅つき機)が年末についたおもちと伊達巻をお腹一杯になるまで詰め込む生活が続く。

普段控えめにと抑えている食欲が、ここぞとばかりに解放。

体はいつの間にか「大食モード」に切り替わっているという訳だ。

それが今年は、中々離れない。

いつまで経っても食事は満腹にまるまで。

合間に、口寂しくてちょこちょこ食べてしまう。

(本当に)測るだけダイエットで夜体重計に乗る時、

「ギシッ」と、嫌~な音がする度、身が縮む。

お陰で表示される数字は、「うわっ!」

と叫びたくなる数値だ。

「よーーーしっ!」

といつもよりも大きな決心をして、「モード」の修正にかかる。

しかし・・・・・・。

変化なし。

増えることすらある。

(……おかしい。)

しばし、沈思黙考。

ハッ!

と思いついたのは、

「酒粕」だ。

「ためしてガッテン」がきっかけでこのところ、健康のために毎日朝夕2回飲んでいる。

そうだよ、酒粕はもともと「お米」!

ご飯飲んでるのと、同じなんじゃ・・・・!

調べたらやっぱり、しっかりカロリーが。

ということで、

酒粕ドリンクは、しばらく封印することにした。

その代わり、お味噌汁などに少しづつ混ぜ、家族全員でその恩恵にあずかろうと思う。

それにしても・・・・自分よ。

ニブイ

鈍過ぎるぞ!

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緑   の   心

江原啓之さんの「スピリチュアリズムを語る」を、読んでいる。

まだ半分程だが、今までの御著書の内容で一番強調したい部分が、凝縮したような感じだ。

読んでいると、授業中「ここテストに出るぞぉ」と言われた時のように、気持ちが引き締まる。

江原さんは、今までマスコミなどを通じて説いてきたスピリチュアリズムについて、言葉としては浸透したが、真に理解されるまでに至っていないとお感じになっているようだ。

今現在の世の状況を見るに、「理解したようで、してない」人が大半ではないか。

というのだ。

成程。

そういわれてみれば、私もそうだ。

江原さんのご本を読んだりしている時は、

「いいこと沢山教わったな!」と思うが、日々の生活の中でそれらを、いつの間にか忘れてしまっている。

そこで、今の世に起きている出来事をスピリチュアリズムに照らし、もっと深く掘り下げて説明する必要性がある。

そう思われたのかもしれない。

そのせいか、一項目ごとに大変力が入っているのを感じる。

特に驚いたのは、「臓器移植」についてだ。

今までのご本には、「逃げか、逃げでないか」というような表現で終わっていたが、今回はかなり踏み込んだ内容になっている。

申し訳ないが私は以前から、臓器移植に対し、あまりいいイメージを持っていない。

「自分の死後、使えるものは使って欲しい。」

という気持ちはあるが、

その「死」がどうも曖昧なまま、強引になされている可能性があるのを知り、怖いのだ。

江原さんは今回、その「死」について、ハッキリと線を引いている。

そして、現在なされている移植現場で起こっていることも。

人道的な事だけに、相当なご覚悟を持って、書かれたに違いない。

去年の7月に施行された、「改正臓器移植法」で、本人なくても、家族が承諾すれば臓器を提供できるようになった。

それにより、自分の臓器が脳死状態で取り出される可能性が、増えた。

人間、明日はどうなるか分からない。

これは、一人一人がきちんと事実を知り、

考えておかなければならないことだと思う。

是非江原さんのご本も含め、出来るだけ多くの情報を集め、ご家族全員で話し合っておくべきだ。

ちなみに、日本臓器移植ネットワークのHPで、「意思表示」が出来る。

私も早速、登録させてもらった。

これで事が起こった時「登録カード」を身につけていなくても、

その場にいる「家族」が何と言おうと、私の意思が尊重されることになる。

忘れがちだが、

「生」と「死」

それらは隣合わせでも、

全く別なのだ。

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デジタルハンター

NHKの「ためしてガッテン」で、究極とされるダイエット法について知った。

ご存じの方も多いと思うが、「測るだけダイエット」だ。

一日のうちで、一番体重の軽い時(起床直後)と、重い時(就寝前)の2回体重計に乗り、グラフをつけていくだけのシンプルさ。

これだけで本当に体重が減っていくのか?

という、多くの人の疑問を余所に、成功者が全国に続出。

特別な機能性食品も器具も必要ないので、お財布にも優しい。

ほほー。

やってみようかな。

と、心が動く。

メタボ家族のお腹が相変わらず成長中で、とどまる気配がない。

2人でやれば、こっそり戦線離脱しようとしてもバレるから、続くのでは。

と考え、食い入るように見る。

番組の最後に、このダイエット法の唯一にして最重要品が告げられる。

それは、精密な体重計。

最低でも100g、出来れば50gが最小単位のデジタルのものを推奨していた。

がび~~ん。

我が家の体重計は、ピーターラビットがついたかわゆいアナログ式だ。

メモリを0に合わせて測り、下りるともう狂っている、細かいことにこだわらないおおらかな秤だ。

しかも、「アナログだと、まず、失敗します。」

とまで、言い切られている。

コップ一杯のお水を飲んで測ると、その分増えた数値が目に見えてが分かるのが、大事だという。

成程。

もう20年近くピーターラビット使っているし、この機に新しくしようか。

と、調べてみる。

そして、お約束の技術の進歩に、圧倒される。

「真央はオムロン!」

と、かわゆく宣言するCMでは、真央ちゃんはたらふく焼き肉を食べた後、本体から引き上げた取っ手を、肩の高さににして測定している。

私も、富里市の住民診断で使ったことがある、体脂肪も測れるやつだ。

それで何で脂肪分が測れるのか不明なのに、その取っ手が、いらないものまである。

なんと、体脂肪率はもちろん、骨量も普通に測れるし、前回の測定値と比較した増減まで表示してくれるという、至れり尽くせり状態。

すごいなー!

と、心の底から感心しっぱなし。

これなら目をそむけようとしても、現実から逃げられまい。

こっそり計画し、着々と準備を進める。

ジリジリと包囲網が狭まっているのに、なにも知らないメタボ家族。

ある日突然、脱衣所に出現した、デジタル体重計。

好奇心をかき立てられ、軽い気持ちで乗ったが最後。

有無を言わせず、果てしないダイエット修行の、始まりだ。

ふっふっふ。

楽しみだわい。

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締め切り効果

NHKの番組で、ウィルス性肺炎の恐ろしさを、知る。

新型インフルエンザがきっかけで発症し、症状が急激に進む。

前日まで、いや、数時間前まで元気だった人が、急にぐったりする。

通常の肺炎と違って、抗生物質が効かないので、診断を間違えると、手遅れになることもあるという。

前日のレントゲンの結果が嘘のように、翌日肺が炎症で真っ白に写ったフィルムを見せられ、愕然とする。

ウィルス性肺炎の場合は、一刻も早くタミフルを投与しなければならないらしい。

今日の読売新聞には、診察にきたお子さんが、30分の間に症状が急変し、大きな病院に転院してことなきを得たという記事も載っていた。

従来のインフルエンザでは「脳症」を重視していたが、新型では「肺炎」の兆候を見つけることに、細心の注意を払う必要があると結ばれていた。

「豚インフルエンザは、毒性が低い。」

そう言われ、国内で持病のない方が亡くなった例がなかった頃は、のんきに構えていた。

大分前のことだが、大人になってからなると重症化するので、子供のうちにかかった方が良いとして、はしかなどになった子の家に、「もらいにいく」ということが珍しくなかった。

その感覚で、「軽いならこの機会に、免疫獲得しておいた方がいいかも。」などと考えていたが、その番組を見て180度考えが変わった。

確率は極低いが、命にかかわることがある。

そうなら、かからないことが重要だ!

と、しまいこんだマスクを引っ張り出したり、家族にやんやと、うがい手洗いをせっついたり。

そうしていたある日、体調の変化に気づく。

あれ・・・、のどが痛い。

・・・頭も、痛む。

し、気管の辺りが、ジンジンする・・・・。

もしや・・・・・。

ひょっとして・・・・A型・・・。

心なしか、少し寒気もする。

測ってみると、平熱だった。

こりゃ、熱が出たら覚悟しなきゃな。

一人、こっそり腹をくくる。

寝込んだり、入院したりする前に、出来るだけのことをやっとかなくちゃ。

掃除、掃除。

冷蔵庫の中も整理して・・・。

「もったいない」と処分を棚上げしていたものも、この際思い切って手放そう。

はー、スッキリ。

これで、心おきなく寝込めるぞ。

少しでも軽くするため、免疫力も上げておかなくちゃ。

ショウガ紅茶を、がぶ飲みする。

ちょっとでも汗をかいたら、すぐに着替えてと。

今日は早く寝よう。

首と鼻にメンソレータムをべったり塗って、ネックウォーマーとマスクをして、布団に入る。

翌日。

昨日の体調が嘘のように、体が軽い。

あれれ?

ただの風邪の引き始めだったのかな?

おぉ!昨日頑張っただけあって、むしろいつもよりも部屋が綺麗だし!

時間は有限。

そう思うのって、大事だな。

ということが、身に染みた、早とちりだった。

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多 重 仁 覚

臓器移植法の改正が、いよいよ現実化されようとしている。

年齢制限の撤廃で、お子さんの移植が国内で認められる見通しだ。

「脳死」が人の死であるか、未だ結論が出ないまま、助かるかもしれない命にのみ、スポットが当てられ続けている。

街頭インタビューを見ていると、自分が脳死になったら、提供してもいい。

が、自分以外の家族の場合は、戸惑うという意見が大方だ。

以前、本屋さんで手に取って衝撃を受けた本を、もう一度読み返す。

黄色いカードが、街中のあちこちで目にされ始めた時期だった。

「持ってはいけない!ドナーカード」

人道的精神に逆行する、強いメッセージに、思わずページをめくる。

そこには、題名を凌駕する、ショッキングな事実がぎっしり詰まっていた。

まず、臓器移植とは、「脳死」を人の死としないと、成り立たない医療行為であることを頭に入れて読むと、怖さが増す。

死後の臓器では、生着率が著しく悪くなるからだ。

「脳死」と判定された人の視床下部から、ホルモンが分泌されていることが発見され、ならば、低レベルながら、意識があることを否定出来ないと、主張する医師がおられる。

それを裏付ける事例として、脳死患者が出産をした例が、複数あるのだ。

分娩は、体内ホルモンの分泌から、全身の機能が複雑に、正確に働くからこそなされるはずだ。

驚くことに、この日本でも、脳死とされた人の出産が、報告されているとのこと。

私がこの本で一番最初に受けた衝撃は、臓器を摘出するために、体にメスを入れた瞬間に、血圧が急上昇し動いたため、慌てて全身麻酔や、筋肉弛緩剤を使ったという部分だ。

大分前に読んだ、梅図かずおさんの作品に、同じようなシーンがあった。

それと重なり、心の底からぞっとした。

その事実を、「法的脳死判定マニュアル」では、「脊髄反射」と片付けてしまっているが、それでは「脳死者の出産」の事実は説明がつくまい。

そもそも、脳死判定の中に、「無呼吸検査」なるものがあり、一定時間人工呼吸器を外すのだ。

その時点で、患者にとっては、致命的なダメージになる。

判定の名の下の、「殺人」といわれても、仕方がない。

医者の売名行為のために、強引になされた不必要な臓器移植での、犠牲者もいる。

また、障害をもった患者さんの治療を勝手に打ち切り、家族が拒否したにも関わらず、無理やりに臓器を取り出した病院もある。

この本を読んで見えてくるのは、移植でしか助からない患者のためと言いつつ、己の実績をあげたい医療関係者達のおぞましさだ。

「提供しない」という意思を明確にしても、病院という密室では、なにが起こるか分からない怖さ。

人体を、「資源」ととらえ、良からぬことを画策する者の出現も、危惧される。

では、移植によって、助かるかもしれない命を、どうすればいいのか。

自分が脳死となり、人工呼吸器で命を長らえるだけとなってしまったら、使えるものは使ってほしい。

とも、思う。

が、脳死状態でも、意識があり、痛みを感じると知った上で臓器などを提供すると、「生を放棄」したこと、すなわち「自殺」になるのだろうか?

スピリチュアルカウンセラーの江原啓之さんのご本にも、臓器移植に関するコメントが出てくるが、いつも言葉少なだ。

「逃げか、逃げでないか」とだけ、書かれてることがほとんどだ。

いつも、何が逃げで、何がそうでないのかが分からないで、読んでいる。

分かりやすく、的確な言葉を駆使して書かれているご本の中では、珍しく曖昧に終わっている。

生と、死。

無縁である人など、一人もいないのに、無意識に避けて通ってしまおうとする。

結論をもし出すとしたら、出来るだけの手を尽くして、「事実」を知ること。

そのうえで、各々が真剣に考え、出すしかない。

だから、答えは一つでは、ない。

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あるけど みえない

ほんとにあった怖い話。

唯一購読している雑誌だ。

奇数月の下旬に発売されるので、今月は楽しみにしている。

中でも楽しみなのは、「能力者」がご登場するシリーズだ。

最初は、「隣の霊感少女」だったのが、能力を磨き、困っている方々をお救いするところにまでなっている方もおられる。

毎号、読者からの投稿を漫画化したものも数編あるが、「あれは、何だんだろう?」だけで終わってしまうか、こじつけで締められてしまうものが大多数を占める。

しかも、パターン化していて、どっかで読んだような気がして、新鮮味がない。

それとは対照的に、霊能力で相談事を解決したり、疑問を解消できる方が登場するお話は、読んでいて考えさせられる教訓が含まれており、単に「怖い話」では終わらないのがいい。

他にも、「ヒプノセラピー」という手法で、相談者の心の問題や体調不良を改善するシリーズも、興味深い。

ヒプノとは、催眠のことで、相談者の潜在意識から問題の根本を見つけ出し、解決に導く。

前世がらみのことが多い。

とても他人事とは思えない悩みも取り上げられ、気持ちを切り替えるきっかけを得ることもある作品だ。

「ほん怖」は表紙が、ときにはおどろおどろしい。

よって、ただの怖いもの見たさを満たす軽い内容と取られがちかもしれないのが、残念でもったいない。

自分の要求を聞き入れてもらい、満足して成仏する。

それは、生きている私たちも日々経験していることだ。

理解や共感を得られて、心にずっとあったしこりが、とけるなどと同じではないか。

死しても、人は人で、肉体の有無の違いだけだということが、能力者を通して伝えられる「事情」を知り、実感できるのだ。

能力者さんたちが、聖人君子でなく、普通のお姉さんなところも、いい。

六法全書に則り、しゃくし定規的な判決が出て、納得がいかない裁判にモヤモヤする。

が、次の日、ワイドショーで「それはないだろう!」と人情剥きだしで、反発するコメンテーター。

裁判官を、聖人君子とは言わないが、「ほん怖」の霊能お姉さん達は、完全に後者だ。

悪いものは悪い!と、ビシッとお仕置きしてくれる、必殺仕置人なのである。

読後、「あー、スッキリしたー!」ということ、しばしばだ。

ほとんどの人が感知するだけの、「みえない世界」が、日々の生活にどのようにかかわっているかが分かって面白い、「ほん怖」。

一度、お手にとって見ては。

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一人前で知ったこと

家族のメタボディを改善すべく努力するが、明るい兆しが、全く見えてこない。

早食いは肥満の元。

家族は、御多分にもれず、超がつく早食いだ。

外食すると、家族の注文したものが遅く運ばれてきても、こちらが半分も進まぬうちに、食べ終わる。

必死に追いつこうと焦る。

待たせている後ろめたさをごまかすために、「食べる?」と、つい聞いてしまう。

この問いに、「NO」と答えたことは、今まで一度もない。

そうか。これもメタボへの元凶だったのだと、遅まきながら気づき、反省する。

家で大皿に盛ったおかずを一応は遠慮がちにつつくメタボディだが、食べるのが早いだけに、自然と食べ過ぎてしまっているに違いない。

以降、大変面倒なのだが、おかずを一人づつ盛り付けるようにした。

そうすれば、極端な食べ過ぎを防げるし、続けるうちに「適量」を体が覚えると思ったのだ。

面倒だが、いいこともある。

まず、眠っていた食器の出番が来て、食卓に彩りが増えた。

食器好きで買い集めるが、しまい込んで忘れてしまうパターン。

箱に入ったまま奥に押し込んであったものを引っ張り出して、在庫確認した。

すると、あるある。

おー。我ながら、いいセンスしてるじゃん。

と、自画自賛しながら、新鮮な気持ちで食卓に並べる。

家族全員別盛りにすると、食器でテーブルいっぱいになる。

なんか、旅館の夕食みたいで、見ただけで少しお腹がふくれる気がする。

なんて思うのは、私だけか。

「御馳走さまー」と、誰よりも早く声をあげるメタボディが、まだ物足りないのか、お菓子の入っている籠を、ガサゴソとあさっている。

ふー。もっと強制力のある方法でないとだめか。

買い置かないことが一番だが、それでは他の家族の楽しみも奪うことになる。

そこでちとかわいそうだが、お菓子の中でも高カロリーのものは隠しておき、メタボディが好きな時、好きなだけ食べれないようにしている。

一人分盛りで、更に思いもかけない事実が判明した。

自分が、野菜をほとんど食べていないという事実だ。

均等に盛ると、どうしても私には多い。

メインのお肉やお魚も、「あとは、食べて」と、ほとんどを食べざかりの家族に分ける。

そして、野菜の一品も食べ切る前にお腹がいっぱいになり、「あげる」と押しつける。

野菜を先に食べればいいのだが、「パン、おかず、スープ、と順番に食べるんですよ。」という、小学一年生の給食時に言われたことがしみついて、一点食いがどうしても出来ない。

プチベジタリアンを自認していたのに、肝心の「ベジ」を食べていなかったとは。

ショックだった。

これでは、いかんと、以来意識して野菜を食べるようにしている。

一人の食事などは、あるものを適当に食べていたが、そういうときでも、きちんと野菜スープなどを作るなど、必ず野菜を料理するよう心がけている。

野菜でお腹いっぱいにすると、おやつがあまり欲しくなくなるというメリットもあると気づく。

お陰で、体重が元に戻りつつある。

自分のことって、分かってるようで分かってない。

いい大人なのに、食欲をコントロールできなかったり、体に良くないことしてたり。

まだまだ半人前だ。

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おつきあいの果て

ってしまった。

しぶりに体重計に乗ってみたら、4kgも・・・。

しかも、十の位が変わったので、ダメージは大きい。

ウエストはきつくないのに、4kgは、一体何処に?

、見回す。

いたいた。

下腹にしっかり、背中は広範囲に。

むむ、ここにつくと、落ちにくいんだよな。

ところ、体重増加の原因は、明らかだ。

家族が資格試験の猛勉強中、せめて、食べる楽しみで応援しようと、お好みメニューを連発したからだ。

お肉たっぷり、揚げものどっさり。

そして、もう一つの原因もある。

との、お茶だ。

は、何でもどっさりが好きだ。

家族構成が減っても、いつものように鍋いっぱいに、料理する。

お茶菓子も、必ず食べきれないほど積み上げる。

さな頃「おしん」のように育ったので、いつもお腹を空かせていた。

その頃の空腹を今癒し、私にはその苦労をさせまいと、「あれも食べろ、これも残すな」と勧める。

お陰で幼稚園から「肥満児」として育ち、青春時代はコンプレックスの塊で過ごした。

は戻るが、

が怪我をして、仕事を休んだ数か月と、我が家の「お好みメニュー」の時期とが重なった。

の怪我を見舞うために毎日顔を出し、お茶を御馳走になりながら、お菓子をつまむ。

に帰れば、家族のお腹を満足させるボリュームの食事を用意し、一緒に食べる。

この2本立てで、太らない方がおかしい。

2kgぐらいなら、普段の増減範囲で、うろたえることはない。

しかし、その倍を減らすとなると、プレッシャーだ。

り難いことに母の怪我も全壊し、家族の試験も終わり、とりあえず、食生活を元に戻すことから始めた。

えて、「プチ断食ダイエット」を再開した。

のニンジンジュースに、ショウガ紅茶。

食事の全体量を少しづつ減らし、とりあえず1kgとさよならした。

薄着になる季節までには、元に戻りたいと、今日もセッセとショウガをする。

プチ断食」のニンジンジュースには、りんご1個と人参2本を使う。

、今りんごがないので、人参だけで作る。

しぼりかすがもったいなくて、やめていたので、それをどうするかで悩む。

ところが、りんごを使わないと、いろいろな可能性があることに気付く。

りんごと人参の搾りかすだと、混ぜられるのは、カレーぐらいしか思いつかないが、人参のみだと、いろいろに使える。

とりあえず冷凍しておき、パキパキ折って好きな量を使う。

いつも作るのは、キャロットピラフ。

バターを使って生米を炒める工程を省き、炊飯器に搾りかすと他の具や調味料を混ぜて、普通に炊くだけなので、簡単だし、あっさりしている。

ハヤシライスにも入れてみた。

も気づかず、大好評。

出来あいの「素」を使ったのだが、しぼりかすを入れた分味が薄まってしまう。

それを、ケチャップと、ウスターソースで補うと、味がはっきりして、こってり好みも満足の味になり、大成功だった。

スープにしてもいいだろうし、もっと濃くポタージュというのもイケそうだ。

ケーキに焼きこんだりしてもいいし、他にも使い道が見つかりそうな気がする。

わー、嬉しいな!と、ケチ心が浮き立つ。

ダイエットが、体だけでなく、日々の献立にも貢献するなんて、一石二鳥だ。

以前は、ニンジンジュースを飲んだ後寒気がしたが、ちょっと塩を振っているからか、大丈夫だ。

塩気が、人参の甘みを引きたて、美味しくなるというおまけもある。

ところがこの頃、ジューサーの調子が思わしくない。

ガガガガァ・・・と、急に音が大きくなったり、プラスチックが焼けた臭いがしてくることもある。

えば、高校の時アルバイトして買ったものだ。

っておかれたかと思うと、急に毎日働かされる。

つきあってらんないよ。

、言われているような気がしてしょうがない。

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耳にいたし 心にやまし

もう、ご勘弁ください。

先程から数時間、叱られっぱなしだ。

かなりニブチンの私でも、これは、堪える。

江原啓之さんの、「ニッポンを視る!『怒り』の時代を生きぬく方法」を、読んでいるのだ。

ニッポンを視る!――「怒り」の時代を生きぬく方法 Book ニッポンを視る!――「怒り」の時代を生きぬく方法

著者:江原 啓之
販売元:講談社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

昨年から週刊現代で連載されたものに、緊急提言を加えて一冊にまとめたご本。

の流れに沿って、3章で構成されており、どれも最近起きている事件や事象を取り上げているだけに、身につまされる。

2009年は「怒り」の年、と霊視したことが、正に具現化していることへの危機感が伝わってきて、どれも人事では済まされないのだと、思わざるを得ない。

年末にマスコミが発表する、「今年の10大ニュース」。

の子供の頃なら、数年に一度あるかないかの大事件が、この頃は数珠繋がりに起きており、とても10に絞れないと感じる程だ。

これは、「大ニュース」に事欠かないマスコミだけが、喜んでいるのではないかと思われる、異常事態だろう。

これらを、一つ一つ取り上げ、スピリチュアルの視点から読み解き、「じゃ、どうしたらいいのか」を丁寧にアドバイス、提言してくれる、心の拠り所本になっている。

なのに、日頃から気の向くままに生活している私にとっては、「お小言」に感じられる。

しかも、各項ごとに相応しい四文字熟語をあげておられるのだが、初めて目にするものが続出で、余計に打ちのめされる。

っていても、読みが間違っていたり、意味を取り違えて覚えていたりで、散々だ。

えば、「不買美田」。

ふばいびでん」と、読みは素直で大丈夫。

、意味は、全く分からなかった。

美田」とは、収穫のよい、田のこと。

や孫に苦労をさせまいとせず、あえて財産を残さないことが、全体の意味だという。

この項では、親子が互いに依存し過ぎだと、戒めておられる。

親子であっても、別々の人間である以上、それぞれが自立して生きていかなければならない、と。

はい。本当にその通りです。

えば、家族に知らず知らず甘えてる部分が多い。

多少なら、相手のやり甲斐位になるかもしれないが、全体重をかけられたら、どれだけ「重い」か・・・・。

今日中に読もう。」と思っていたが、反省の時間が多すぎて、なかなか進まない。

ちょっと、休憩。

思ったら、学校を休ませて、レジャーに連れていくのが、この頃は学校も容認?というニュースが。

ませる理由として、ツアー代金が、平日だと安いから。とか、

家族が平日しか休みを取れないから。など。

学校休ませて、ディズニーランドかー。

学校側も、保護者の意向だから仕方がないと、表立っては反対しないという。

後々親と揉めたくないというのは、分からなくもないが、明らかにおかしな対応だ。

しかし、もっとおかしいのは、お家の人の意識だろう。

義務教育」の「義務」は、教育を受けさせる義務だ。

それは、国が国民に、親が子にという意味で、この頃は、義務教育を「国から受けられるサービス」、と勘違いしている親が多いのではないか。

子供は、国の宝でもある。

が、自分の子供とはいえ、教育を受ける機会を奪うことは、義務違反なのだ。

そして、毅然とした態度で臨まない学校側も。

は、大人の鏡」

まず、大人から変わらなければならない」

、江原さんはいつもおっしゃっている。

多くの問題が、ここに集約される。

私達」が、変わらなければならないのだ。

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