今年もそろそろ、タケノコの季節が始まっている。
父亡きあとは、私がタケノコ狩りを引き継いで、母と出かける。
そこはかなり傾斜が急な竹藪で、気をつけないとゴロゴロと転がり落ちそうな場所だ。
不特定多数の人がやって来ては、思い思いに掘っていくので、所有者さんがおおらかなのだろう。
言い訳になるが、タケノコ狩りを禁止したら、竹が縦横無尽にはびこり、厄介なことになりそうだ。
タケノコを掘ることによって、適度な間引きになりいいのではないか。
と、自分に言い聞かせて、掘らせてもらう。
雨後のタケノコ。
という言葉通り、雨の降った後は、竹の赤ちゃんたちがこぞって顔を出す。
早朝6時頃車で出掛け、スコップや母特製の道具を竹藪に運び込む。
採ったタケノコを入れる袋を各々手に持ち、斜面を降りていく。
母が掘り出す役で、私は見つけ役だ。
落ち葉が積もっている地面を踏みしめ、先っぽの感触を探る。
理想的なのは、先っぱの色が黄色いものだ。
出始めて時間が経つと、緑に変わっていく。
そうなる前に掘り上げると、身が柔らかくて、えぐみが少ないのだ。
数センチから、十数センチの先っぽを求めて、ひたすら竹藪を歩く。
見つけると、目印を付けて、母の到着を待つ。
母は、掘りながらも周囲に先っぽを見つけるので、なかなか来ない。
山に慣れない私は油断すると、自分が見つけた先っぽの場所が分からなくなる。
あそこと、あっちと・・・・と目で追いながら、見失わないように必死だ。
やっと母が来てくれ掘っている間に、タケノコを保管場所に運ぶのは、私の役目。
数十キロのタケノコを両手に持って、必死に斜面を登る。
登り切ったはいいが、いつの間にか方向が狂い、保管場所が分からなくなって、泣きそうになる。
両手のタケノコは重く、紐が手に食い込んでちぎれそうになりながら、捜し歩く。
そんな有様なので、父からバトンタッチして最初の時は、「もう行くもんか」と思うほどきつかった。
が、通っているうちに地形が頭に入り、斜面の上り下りにも慣れると、2時間程があっという間に感じるまでになった。
タケノコ狩りの醍醐味は、何といっても見つけた時だ。
最盛期だと、一つ見付けると、その付近で次々見つかる。
親竹から、地下茎でつながっているので、先っぽのラインダンス状態なのだ。
汗だくになって堀り続ける母がバテた時が、休憩タイム。
既に山のようになっている収穫を横に、お茶と甘味で疲れを癒す。
スッと疲れが抜け、さぁまた行くぞと、坂を下る。
それ程広い場所ではないので、同時間に数組が掘っていると、お互いの気配が筒抜けだ。
そんな時は、あちらに先を越されないようにと、余計に気合いが入る。
「もう、いいでしょう!」黄門さまのように、母がいい出すまで、お伴の私はここ掘れワンワンを続ける。
引き上げるときが大変だ。
30kgのお米の袋にいっぱい詰まったタケノコを、数百メートル離れた車に運ぶのだ。
一回では無理なので、数回往復する。
切り株に腰掛け、袋を背中に乗せてもらい、おんぶ紐を渡すようにして体にくくりつける。
よいしょと立つのが、また一苦労。
重量挙げの選手のようにタイミングを計り、勢いをつけて立つ。
油断すると、よろけて、倒れてしまうとこともある。
やや前傾姿勢のまま、車までヨチヨチと歩く。
紐が肩に食い込んで、アザができることもある程重い。
車のトランクにどっこいしょと下ろすと、ほっとする。
今日もいっぱい採れたね。とホクホクしながら帰る。
しかし、ここで終わりではない。
今度は、毎年首を長くして待っている、山形の親戚に送るための準備があるのだ。
10個程の空き箱を準備し、新聞を厚く敷いて詰めていく。
世帯人数によって、大きさや本数が違うので、仕分けが大変だ。
伝票を書き、宅配業者さんに引き渡して、ようやく落ち着ける。
これが春の風物詩になっていたが、一昨年から雲行きが怪しくなった。
その日、いつものように大収穫で、車に一回目を積み込んでいた。
すると、いつの間にか後ろに、警備隊の車が停車した。
背の高い男性が4人、こちらに歩いて来る。
「ここ、立ち入り禁止なの、知らないのですか?」
「いえ、知りませんでした。」
「ここは、○○○の管理なんで、入れませんよ。」よく聞き取れなかったが、成田空港の関係のようだった。
それ程の強面でないことをいいことに、聞いてみる。
「今日採ったものは、持って帰っていいですか?」
責任者と思われる人が、ちょっとの間を置いて、許可してくれた。
別の人が、「身元確認しなくていいんですか?」とその人に聞いているので、ドッキリ。
「いや、そこまでしなくていい」と言ったので、ホッとする。
2回目を運ぼうと歩きだすと、慌てて皆が追いかけて来る。
「こらこら!どこへ行くの?!」
「まだ向こうに、掘ったのが残ってるんです。」
「じゃ、そこまで一緒に行きます。」と、3人が舌打ちしながらついて来る。
「手伝ってくれないかな?」と、調子に乗って考えた。
が、当然だが知らんぷり。
全てを運び終わるのを見届け、私達の車が離れるのを確認して、帰っていく。
「別の場所、探さないとだめだね。」しょんぼりと母が言う。
翌年は、知り合いに教えてもらった場所を当てにしていたが、そこも出入り禁止になってしまい、一度も堀りに行けなかった。
あれ以降は、知人が掘って来たものを分けてもらって、送っている。
大変で、本心は憂鬱な行事だったが、出来なくなると寂しいものだ。