運だめし
父が元気だった頃には、初詣が終わってから、必ず新年の運だめしを恒例にしていた。
おみくじではない。
パチンコである。
我が家では、「初パチ」と言って、特に両親が楽しみにしていた。
私などは、早々に1杯を使いきってしまい、両親におねだりしていた。
それもすぐになくなり、「もう帰ろう」と言いだす。
銀の玉にお金を使うなら、並びの本屋さんで、本を買いたい。
しかし、両親は熱が入ってしまい、なかなか帰りたがらない。
だが、娘にやんや言われながらやっても、やった気がしないと諦め、しぶしぶ腰を上げる。
お正月は、締めていて、負けるだけだと知っているのに。
この頃、初詣に行っていない。
成田山がすぐ近くなのだが、あの人混みを思うと、つい腰が重くなる。
そんな私だが、1度だけ、父と成田山に除夜の鐘を聞きに行ったことがある。
荘厳な響きを想像していたが、割と甲高く細い音だった。
大勢の人とともに待ち、耳にした響きはやはり特別で、来てよかったと思った。
小学校の頃など、日本中に響くものと勘違いして、今年こそはと寝ないで頑張り、12時とともにベランダに飛び出した。
「聞こえないよぉ」と家に入ると、両親に大爆笑された苦い思い出がある。
江原啓之さんによると、おみくじにはやはり、その人に必要なメッセージを含んだものが巡ってくるそうで、決して偶然に「当たった」のではないという。
そして、そばの木に結びつけたりせず、ちゃんと持ちかえり、書かれているメッセージを、真摯に受け止めなければいけないとのことだ。
おみくじも、初パチもやらない今は、自分の中で運だめしの毎日だ。
あの木にとまっている小鳥が、右に飛んだらうまくいく。
など、思いつくままに、運だめししている。
それが、結構うまくいく。
自分に暗示をかけるようなものだろうか。
お手軽に安心するのにもいい。
あまり人に心配事などを相談できない性分ゆえ、それで不安解消しているのだ。
高校の時に、ジャンボ宝くじの話になった。
両親は、毎回買っていた。
その頃引き換え券方式だったため、学校帰りにもらって帰るのが私の役目だった。
最高で、1万円が当たっただけで、投資した分は、賞金の足しにされるだけだ。
そんな話題で盛り上がっているとき、友人の1人が「宝くじなど、ばからしいっての!」と息巻く。
確率からいって、馬券を買った方がいいというのだ。
友人のなかの深淵の闇に触れたようで、ちょっと怖かった。
あんた、どこまでいってんの?とは、聞けなかった。
大きく見ると、私はとても運がいい方だと思う。
生まれ変わったら、だれになりたいか?と聞かれたら、真っ先に「また自分!」と答える。
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