ギャンブル

ゴ ー ル は 何 処

「では、それを右耳に当て

聞こえたら片手を上げて下さい。」

大きな吸盤状のものを受け取り

耳に当てる。

「・・・・・・・・・・・・・?」

「あっ!もしかして

ずっとしてて、段々大きくなってるのが『音』ですか?!」

古の昔

学校で受けた聴力検査は

待っていると突然

「ピーー」とか

「ピロピロ~~」などと電子音がする。

聞こえたら手元のボタンを押す方式だった。

頭が大変硬いゆえ、当然

「それ」と決めつけていたので、反応出来なかった。

「では、改めて」

ということで、初めからやり直してくれる。

(今度は絶対に聞き逃すまいっ!)

と、顔は自然にベートーベンに。

(・・・・・・・・・---きたっ!)

ピッと手を上げる。

両耳を終え検査室を出しな技師さんから一言。

「すごくよく聞こえてらっしゃいますね。」

「あ、そですか。よかった~。」

久々の聴力検査で

「地獄耳」

の太鼓判を押してもらえるとは思わなかった。

素直に喜んでいいのかどうかは分からないが。

それから

ダッシュでトイレに駆け込み

ようやく欲求を満たすことが出来た。

(やっと少しは落ち着けるよ~。)

と、ソファでテレビを見ながらくつろいでいると、

ドン小西さんのファッションアドバイスをやっていた。

「ほほ~、若く見える髪型か~。

参考に出来ることあるかも!」

3人の女性が立っており、順に紹介される。

まず、20代はセミロング。

「うんうん、美人だね~。」

30代は、エアリーなロングヘアで

ブローが大変そうだ。

そして最後が、40代。

特徴は、つむじの辺りにボリュームを持たせるそうだ。

(まさか、レディ○・マー○使用とか?)

それはなかったが、

こちらもスタイルを保つのに労力を使いそうで、

全く自分には出来そうもない。

ちょっとガッカリしていたら、

モデルの女性が47歳だと明かされる。

「!!」

とてもそうは見えない。

でもそれは髪型のお陰というより、

その方ご自身の本来の若々しさだ。

(だってお肌がピチピチだもん)

「素材」という根本的な差は

髪型などでカバー出来るレベルではない。

しゅ~んとしてたら、

肩をたたかれる。

「あの・・・ひょっとして○○さん?

さっきから、呼ばれてますけど・・・・」

「はっ、あわわっ!

ど、どうもっ!」

お礼もそこそこに、診察室に入る。

「血圧と、血液検査しますので腕を出して下さい。」

シュコシュコされて、ドックンドックン。

「じゃ次は血を採りますね~。」

血管の一番太いところをアピールして

針が刺されるのを待っていると、

どうも様子がおかしい。

「あらら、あなたの試験官がないわ。」

他の人まで呼んで、探し回る看護師さん。

(まさか、他の人の時に使っちゃったんじゃ・・・・)

(「取り違え」の悲劇は、「赤い疑惑」だけで充分だよ。)

とにかく新たに私の名が書いてあるステッカーを貼った容器で

採血が始まった。

それにしても・・・・

なんかちょっと

不吉・・・・・。

なので

二つ戻って一回休み。

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運だめし

が元気だった頃には、初詣が終わってから、必ず新年の運だめしを恒例にしていた。

おみくじではない。

パチンコである。

が家では、「初パチ」と言って、特に両親が楽しみにしていた。

などは、早々に1杯を使いきってしまい、両親におねだりしていた。

それもすぐになくなり、「もう帰ろう」と言いだす。

の玉にお金を使うなら、並びの本屋さんで、本を買いたい。

しかし、両親は熱が入ってしまい、なかなか帰りたがらない。

だが、娘にやんや言われながらやっても、やった気がしないと諦め、しぶしぶ腰を上げる。

お正月は、締めていて、負けるだけだと知っているのに。

この頃、初詣に行っていない。

成田山がすぐ近くなのだが、あの人混みを思うと、つい腰が重くなる。

そんな私だが、1度だけ、父と成田山に除夜の鐘を聞きに行ったことがある。

荘厳な響きを想像していたが、割と甲高く細い音だった。

大勢の人とともに待ち、耳にした響きはやはり特別で、来てよかったと思った。

小学校の頃など、日本中に響くものと勘違いして、今年こそはと寝ないで頑張り、12時とともにベランダに飛び出した。

こえないよぉ」と家に入ると、両親に大爆笑された苦い思い出がある。

江原啓之さんによると、おみくじにはやはり、その人に必要なメッセージを含んだものが巡ってくるそうで、決して偶然に「当たった」のではないという。

そして、そばの木に結びつけたりせず、ちゃんと持ちかえり、書かれているメッセージを、真摯に受け止めなければいけないとのことだ。

おみくじも、初パチもやらない今は、自分の中で運だめしの毎日だ。

あの木にとまっている小鳥が、右に飛んだらうまくいく。

など、思いつくままに、運だめししている。

それが、結構うまくいく。

自分に暗示をかけるようなものだろうか。

お手軽に安心するのにもいい。

あまり人に心配事などを相談できない性分ゆえ、それで不安解消しているのだ。

高校の時に、ジャンボ宝くじの話になった。

両親は、毎回買っていた。

その頃引き換え券方式だったため、学校帰りにもらって帰るのが私の役目だった。

最高で、1万円が当たっただけで、投資した分は、賞金の足しにされるだけだ。

そんな話題で盛り上がっているとき、友人の1人が「宝くじなど、ばからしいっての!」と息巻く。

確率からいって、馬券を買った方がいいというのだ。

友人のなかの深淵の闇に触れたようで、ちょっと怖かった。

あんた、どこまでいってんの?とは、聞けなかった。

きく見ると、私はとても運がいい方だと思う。

まれ変わったら、だれになりたいか?と聞かれたら、真っ先に「また自分!」と答える。

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