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愛を掲げて

今年中に終わってしまう、「篤姫」。

来年度からは、お休みに入ってしまう「渡る世間」。

しみが、がくりと減ってしまうとションポリしていたら、朗報が飛び込んできた。

来年の大河「天地人」の主人公、直江兼続(なおえかねつぐ)が、山形の米沢で活躍した御仁とのこと。

両親とも山形出身ながら、歴史、文化についてはとんと疎く、読売新聞の旅行誌「ロマンの旅」で取り上げられて、初めて知った。

それによると、上杉謙信から家督を継いだ、上杉景勝をサポートした家老が、兼続氏。

幼少のころに、謙信のお姉さんに見出され、景勝の側近となった。

終生上杉家に仕えた、義の人、仁愛の人であったという。

智将と称えられ、秀吉からのヘッドハンティングを断ったことからも、それが伺えよう。

関ヶ原で西軍につき、本来ならば滅亡するところを、兼続の働きが家康の心を動かし、存続を許されたとの逸話もある。

ーー。すごいお人が山形におられたのねー。と、感心しきりである。

なせば成る なさねば成らぬ 何事も 成らぬは人の なさぬなりけり」を詠んだのは、米沢藩9代目藩主上杉鷹山だということも、ここで初めて知る。

ここまで来ると、山形人の資格なしといわれても仕方あるまい。

自分の無知さを恥じつつ読み進める。

の存続が危ぶまれる程の財政難に陥っても、家臣を首にせず、自ら質素な生活をし、倹約の見本となった。

農地開発や、産業振興に力を注ぎ、いざというときのために米の備蓄や食用に転用できるものの栽培を励行していたおかげで、天明の大飢饉では、藩から一人も餓死者を出さなかったという。

17歳で藩主となった鷹山は、謙信から受け継ぐ上杉家の家訓を守り、慈愛の精神を貫いたお人であった。

200年以上たった今でも、地元では「鷹山公」と敬われているという。

ーー!素晴らしいっ!!

の底から、感動し、記事を読んでいて涙が出て来た。

すぐ、山形に行きたくなってしまった。

尊敬する人が、また2人増えた。

記事の中に、直江兼続の兜の写真があり、驚く。

」の一文字が大きく輝く通称「愛の兜」。

これは、信長の野望オンラインでもある。まさか実在のものであったとは、知らなかった。

そこでは、すっかりネタとして扱われてしまっているが、「天地人」の放送が開始されたら、グンと価値が跳ね上がるに違いない。

あちらでは、篤姫人気からか、徳川、島津の勢力が強くなっていると聞く。

来年からは、上杉が盛り返すこと、確実だ。

祖母の米寿のお祝いに、親族全世帯に配られた、特大「お鷹ぽっぽ」が我が家にも飾られている。

一本の木から彫り出された、鷹やフクロウ、ニワトリなどのとても見事な飾り物で、山形の名物だ。

なんと、それは、鷹山公が武士の副業として奨励した民芸品であるという。

これも、初耳だ。

材料の木、「コシアブラ」は、春にその新芽を摘んで、てんぷらにすると、最高に美味しい。

きっと、飢饉に備えて植えられた植物のひとつであったのだろう。

べて良し、彫ってよしの、有り難い木だったとは。

の「お鷹ぽっぽ」を改めて、見直した。

なせば成る・・・」

からでも遅くない。

山形の地に眠る偉人達に恥じぬよう、がんばろう。

精悍な顔つきで遠くを見据えるお鷹ぽっぽに、そう誓った。

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